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東京都立江戸川高等学校教員 伊達 昌司さん

2012年09月04日

プロフィール

東京都立江戸川高等学校教員 伊達 昌司さん

東京都立江戸川高等学校教員 伊達 昌司さん

1975年神奈川県生まれ。法政大学文学部哲学科卒。
野球部で投手として活躍後、社会人野球を経て阪神タイガースへ入団。その後、北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツなどを経て、2006年に引退。教員免許を取得し、2010年より東京都立江戸川高等学校で教壇に立つ。

プロ野球選手から教員へ 勝負どころを見極めて自分自身を成長させる

元プロ野球選手という経歴をもつ高校教師、伊達昌司さん。引退後に教員を志し、一から勉強を始めました。高校に赴任して3年目の現在、社会科の教員として日々奮闘しつつ野球部の指導にも情熱を注いでいます。

幼いころから野球は身近な存在だった

在学中、東京六大学野球で4回優勝した野球部。優勝パレードでの一枚

在学中、東京六大学野球で4回優勝した野球部。優勝パレードでの一枚

プロ野球選手であった父の影響もあり、物心がついたころからバットとボールで遊び、小学1年から地元の野球チームに所属していました。父は野球を教えてくれることもありましたが、その教え方は厳しく怒られてばかりいたことを覚えています。当時から周りの友人たちより肩が強かったので「自分は将来プロ野球選手になるんだ」と思い定めていました。

中学生になると東京六大学野球でプレーしたいという思いが芽生え始めました。というのも父が法政大学野球部出身だったためです。そこで中学卒業後は法政大学第二高等学校に進み、大学の選手が練習するグラウンドの横で練習をしていました。当時の法政大学野球部では、先日プロ通算2000本安打を達成した現日本ハムファイターズの稲葉篤紀選手などそうそうたる人たちがプレーしており、その練習風景を目の当たりにして多くの刺激を受けました。

高校時代の私はチームのエースではありませんでしたが、法政大学に進学して、一つの転機を迎えました。当時野球部の監督を務めていた山中正竹さんとの出会いです。山中さんは選手一人ひとりに目を向け、練習をやればやった分だけ、結果を出せば出した分だけの正当な評価を与えてくれ、私が1年の時からベンチに入れてくれました。山中さんの指導を通して「自分の役割を果たせば、しっかり評価されるんだ。頑張ったらなんとかなるんだ!」という気持ちを持てたことが、その後の人生でも大きなプラスになったと思います。

デビュー戦でプロ野球の洗礼を受ける

現役時代に発行されたカード

現役時代に発行されたカード

大学を卒業後、社会人野球チームのプリンスホテルに入団したのですが、2年で廃部。それをきっかけにプロ入りを表明し、阪神タイガースから投手としてドラフト2位指名を受け、プロの世界に入りました。

社会人野球もプロ野球も報酬を得てプレーする場です。厳しさは大学時代とはまったく違いました。ハードな練習はこなして当たり前。その上で結果を出し続けなければいけません。私がプロ入りしたのは26歳の時ですが、デビューするにはやや遅い年齢。「結果を出せなければ、すぐ解雇される」という意識は最初からありました。

常に危機感を持って臨んだプロでの登板はどれも思い出深いのですが、その中でも自分にとって最初の対外試合となった、読売ジャイアンツとのオープン戦は特に記憶に残っています。その試合では松井秀喜選手と対戦したのですが、インコース高めに投げた球がほんの少しだけ内側に入りました。その一球を松井選手にいとも簡単にホームランにされたのです。「それほど甘い球ではないのに、プロの世界はすごい!」と圧倒された瞬間でした。

環境を変えたときが“勝負どころ”

東京都立江戸川高等学校教員 伊達 昌司さん

私はその後、2度の移籍を経て2005年のオフシーズンに引退を決断しました。それまでの野球人生でやり残したことはもうなかったので、野球界に残るという選択肢は頭にありませんでした。そこで「では何がやりたいのか」と自分に問いかけた時、これまで多くの人からサポートを受けて野球を続けてきたことが思い浮かび、今度は自分が誰かをサポートしたいと考えるようになりました。そして、生徒の将来をサポートすることができ、さらに自分の野球経験が部活動の指導に生かせる教職を選んだのです。

とはいえ教員になるための勉強は特にしたことがなく、最初は本当に手探り状態でした。何かに取り組まなくては前に進めないと思い、教員として働く知人の話から「業務でPCを使うことも多い」と知ったため、まずはPC教室へ通うことに。2007年4月からは教員免許を取得するため、法政大学に科目等履修生として再び通学して2年間勉強しました。野球部時代を含め、法政大学には本当にお世話になったと今でも感謝しています。

勉強はすぐに報われたわけではありません。2009年度の教員採用試験は不合格。それでも教員への夢を諦めることはできず、さらにじっくり対策を練りました。そして、翌年の試験に無事合格し、2010年から東京都立江戸川高等学校の教壇に立っています。今は一日も早く一人前の教師になることが目標です。その一方で、野球部の指導者の一人として技術的な指導も行っています。その際に私が心がけていることは、生徒一人ひとりにしっかりと目を向けること。調子が良いときだけでなく悪いときも含め、長いスパンで生徒のことを考え、その都度最適なサポートをするようにしています。

私はこれまでの人生でいつも“勝負どころ”を意識してきました。その経験から、新たな舞台へ進んだ最初の一歩や、人生の転機を迎えてからの最初の1年は特に重要な時期だと考えています。そこでどれだけ頑張れるかによって今後の成長が変わってきます。学生の皆さんも、新たな環境に身をおいたときこそ成長のチャンスだと捉え、目の前のことに全力で取り組んでみてください。そうすることで、きっと満足できる結果を得られるはずです。