玉ひで主人 山田 耕之亮さん

2011年04月04日

プロフィール

玉ひで主人 山田 耕之亮さん

玉ひで主人 山田 耕之亮さん

玉ひで主人 山田 耕之亮さん(やまだ・こうのすけ)さん

1961年東京都生まれ。
1983年に本学社会学部応用経済学科を卒業した後、日本料理店での修行を経て、「玉ひで」に入社。
1998年に8代目を継承した。
老舗の味と技を守るとともに、明治期の復刻版メニューや、サークルKサンクスとのコンビニ弁当の共同開発など、新たな挑戦にも取り組んでいる。
2010年10月、羽田空港新国際線ターミナルに初の支店もオープンした。

「変わらないように変えていく」ことで「軍鶏鍋の名店」のれんを守り続ける

玉ひで主人 山田 耕之亮さん

玉ひで主人 山田 耕之亮さん

創業250年の伝統を誇る軍鶏鍋店「玉ひで」。親子丼の元祖として知られており、老舗の味を求めてランチタイムには行列ができます。
その8代目主人が社会学部OBの山田耕之亮さん。
長く続いたのれんを守るために、単に先達の技を踏襲するのではなく、常に新たな挑戦を続けています。

推理小説研究会に所属年間約350冊を読破

――山田さんは、法政二高から社会学部応用経済学科に進学しています。

父が法政出身で、バスケットボール部の監督を務めていたこともあって、自然と法政志望になりました。妻や息子をはじめ、親族にも法政出身者が多く、家の中で校歌が歌えるほどです(笑)

大学時代、最も力を入れたのは推理小説研究会の活動です。毎週、決められた「課題本」を読んで、皆で討論するのですが、読書家がそろっており、話題についていけないこともありました。それに刺激を受けて、大学1年生の時には、年間約350冊を読破しました。「読書ノート」をつけていたのですが、少し前に読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうほどの乱読状態でした。2年生以降は、さすがにそのペースは落ちましたが、それでも年間100冊は読んでいたと思います。かなりの充実感がありましたね。

自分ならではの感覚を大切にしたい

日本料理店「玄治店 濱田家」で修行してた22歳のときのもの。 一番手前が山田さん。

―― ゼミのレポートなどで、ユニークな視点で論理を展開した山田さん。それは老舗料理店に生まれたからこそ養われた感覚だと語ります。

社会保障論のゼミに所属。最初のゼミレポートで、「日本の社会保障制度の立ち遅れは、戦後、制度を導入した先駆者たちが、理想ばかりを追求して現実を見なかったことが原因だ。その責任は重い」という趣旨のことを書きました。すると、先輩から呼び出され、「その先駆者の一人がこのゼミの先生じゃないか。こんなことを書く学生はいない。ゼミレポートの採点をするのが自分たち上級生だったからいいようなものの、先生の目に触れていたら大変だった」と言われました。知らないというのは恐ろしいもので、真っ青になりました(笑)。

当時から私は、物事をストレートにとらえるのではなく、独自色を出したいという意識を強く持っていました。それがゼミレポートにも反映されたのだと思います。その意識は、老舗料理店に生まれたからこそ芽生えたのかもしれません。そのころ、テレビCMで「職業選択の自由」の歌が流行っていました。店を継ぐことが「宿命」の私は、この歌が大嫌いでした。私には自分で職業を選ぶ自由はない。だからこそ、その制約の中で、自分なりの色を出したいという思いがあったのです。

同じことをやらないことが250年の伝統の秘訣

「玉ひで」のホームページ

「玉ひで」のホームページ http://www.tamahide.co.jp/

―― 実際、山田さんは8代目主人に就任して以降、さまざまな新機軸を打ち出していきます。

実は「玉ひで」は、代々の主人がオリジナルの方針で経営してきた店です。屋号自体、4代目までは「玉鐡」で、5代目・秀吉の店は周りから通称「玉秀」と呼ばれました。6代目から書体はやや異なりますが、平仮名の「玉ひで」になっています。店の形態も、軍鶏鍋がメインであることに変わりはないのですが、5代目は高級料亭、6代目は鳥専門料理店、7代目はよりリーズナブルな料理店、そして今は6代目と7代目の中間のような感じです。そうした「変わらないように変えていく」姿勢を持っていたから、のれんを守り続けることができたのかもしれません。

私が8代目になった時、まず着手したのが、親子丼の価格引き上げでした。父は、「親子丼は庶民の食べ物なのだから、安価で提供するのが当然」というポリシーを持っており、40年間、600円から1000円の価格を通しました。はっきりいって利益はありませんでした。そうなると、従業員の間に「食べさせてあげている」といういわばおごった気持ちが生まれ、接客態度に問題が生じていました。そこで私は従業員の再教育を行うとともに店舗の改装を行うなど、約8 年かけて親子丼の価格を800円から1900円に変更しました。その分、「親子丼の元祖」の名に恥じない最高品質の料理をお客さまに提供しようと考えたのです。それによって、以前よりお客さまは確実に増えており、この選択は間違いではなかったと手応えを感じています。

羽田空港に初めての「支店」をオープン

―― さらに、山田さんは新たな挑戦にも乗り出しています。

「玉ひで」はこれまで一店舗主義を貫いてきました。ランチタイムの行列に象徴される繁盛店として評価されてきましたが、特に2010年のような猛暑の中で店外で待っていただくのはお客さまも大変な負担だと感じるのではないでしょうか。そこで、一店舗主義の方針から大転換を図り、2010年10月、羽田空港ビル内に初めての支店をオープンすることにしました。今後、東京スカイツリーにも出店する予定で、天候などの影響を受けずに食事を楽しんでいただくことができるようになります。これらの支店との相乗効果で、「玉ひで」をさらに成長させていきたいと考えています。

 (雑誌「法政」2011年1・2月号より)