法政大学について

2004年度7・8月号 雑誌「法政」

法政大学の歴史(その72)「ジョルジュ・アペール(Georges Victor Appert)―草創期のフランス人教師」

すでに本項目でも幾度か触れられているとおり、今年度は「法政におけるフランス年」である。周知のように法政大学の前身を辿ると、東京法学社(のち東京法学校)・東京仏学校の二つのフランス学系学校に行き着く。この両校、さらにその合併により誕生した和仏法律学校で教鞭を執ったフランス人教師たちは多い。就中ボアソナードはよく知られていよう。
また、彼の後を継いだ和仏法律学校第二代教頭ルヴォンについては、本誌本年4月号で島本昌一先生により紹介がなされている。今回取り上げるアペールも本学草創期の発展に大きな足跡を残したフランス人教師の一人である。

アペール(1850年生)の来日は1879(明治12)年、司法省法学校講師としてであった。近代法教育における彼の功績は大きく、同校第4期生として直接その薫陶を受けた織田萬(京都大学教授)が、アペールの死(1934年)を悼んだ文章を「我が司法界の恩人」と題し、「翁(アペール)の勲労はその内容においてボアソナード先生に勝ることは固よりないにしても、敢て劣るものではない」(『東京朝日新聞』同年6月26日)と述べていることからも、その一端を窺い得るであろう。

〈法政大学史〉にアペールの名が登場するのは、1881(明治14)年2月28日発行の『法律雑誌』第157号所載「東京法学社行政法講義会広告」からで、そこには「今般司法省法律専門学校御雇仏国法律博士「アッペール」氏ヲ聘シテ仏国公法及行政法中吾邦ニ適切ノ部分……ヲ聴講セントス」とある。
また、同年5月20日付『東京日日新聞』掲載の東京法学社と東京法学校の「分離・独立」を知らせる広告にも「仏国行政法」担当者として彼の名が見える。

1882年以後本務の多忙のためか東京法学校におけるアペールの講義は一時中断する。しかし1886(明治19)年9月から再び「行政法」を、ついで翌年1月からは「民法(相続・遺贈)」を担当、さらに同年3月からは東京仏学校で「理財学」も講義した。
「東京法学校概況」(『東京法学校雑誌』第1号、1888年1月20日)は、「顧れば我校は明治13年9月始めて業を駿河台甲賀街に開きし当時に在ては其勢微々として未だ一の学校と称するに足らざる程なりしも幸にボアソナード君アッペール君を始め内外諸名士の賛助を得て漸く盛大となり」と記し、アペールの帰国(1889年1月)に際して東京法学校は「金地に春秋田家の景を描きたる屏風一双を寄贈」して、その尽力に謝意を表したと伝えられる(同前誌第13号、同年1月20日)。

1909(明治42)年、法政大学創立30周年記念式典にあたって、アペールは「私立法政大学ノ講師及ヒ学生ニ贈ル書」を寄せている(『法政大学参拾年史』所収)。そのなかの一文を引いて結びとしよう。
「予力忘レント欲シテ忘ルルコト能ハサルハ此学校ノ講師力企テタル事業ノタメニ予ノ賛助ヲ請フノ栄誉ヲ与ヘラレタルコトナリ顧フニ此事業タルヤ実ニ美挙ト謂ハサルヘカラス他ナシ一般ニ金ヨリモ志ニ富ミタル多数ノ青年ノ官黌ニ入ルコト能ハワサル者ニ高等教育ヲ授ケント欲セシコト是ナリ」

大学院社会科学研究科・鈴木貫樹

 

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