OB・OG Interview

このままでは明日がない!と
ずぶの素人から勉強を始め
世界トップブランドの織物メーカーへ
テキスタイルデザイナー・織物職人 宮本英治さん

テキスタイルデザイナー・織物職人 宮本英治さん

テキスタイルデザイナー・織物職人 宮本英治さん

何枚も折り重ねたような多層構造の布やそのままワンピースとして身にまとうことのできる筒状の布など、独創的な織物を次々と生み出している宮本さん。その作品は、アメリカのニューヨーク近代美術館やロンドンのビクトリア・アルバート美術館などにも収蔵され、世界のトップブランドとしての地位を確立しています。しかし、宮本さんが織物の創作を始めたのは転職して家業に就いてからのことでした。

飛び込み営業で
旅行を提案して添乗する日々

―織物メーカーの次男として生まれ育った宮本さんは家業を長男が継ぐことになっていたため、大学卒業後、旅行会社に就職しました。

当時、旅行会社の顧客はほとんどが団体で、町内会や農協、学校などの団体旅行の企画・添乗が中心的な業務でした。私は飛び込み営業で会社を訪問して社員旅行などの希望を訊ね、旅行プランを提案して、話がまとまれば諸手配からツアーコンダクターまで担当する、という仕事をしていました。入社がちょうど大阪万博の年だったので、新人時代は研修もそこそこに万博ツアーの添乗に明け暮れる毎日でした。

面白そうだと思って選んだ仕事でしたが、5年ほどして迷いが出始めました。そのころ、父親に家業を手伝ってみないかと声をかけられたのです。家業は織物業の「みやしん」という会社です。当時はウールの和服生地が誕生して男性用和服のブームに火が付き、会社は生産が間に合わないほど忙しかったのです。

業界の将来を見て新しい織物の創出を決意

―転職した宮本さんは、旅行会社時代の経験を生かして営業を担当します。マーケットを理解しようと全国の小売店を回っているうちに、思いがけない現実が見えてきました。

当時、織物メーカーは大手問屋との間にある仲介業者と取り引きするのが常識でしたが、私は転職してしばらくの間、勉強のつもりで消費者に直結している小売店を営業で回りました。マーケットの全体像を知っておくべきだと思ったからです。そこで見たのは、すでに商品の流れが止まってしまっているという現実でした。男物の着物は、次々と新しく買い増すような性格の商品ではないからです。

しかしその現実を知らない生産者側では、惰性的な見込み生産が続いていたのです。その当時、我が社の受注も多かったのですが、「このままでは将来はない」と思った私は「状況の良いうちに、何か新しいことを始めなければいけない」と、織物の勉強を始めました。

同世代の職人は皆、専門の高校を卒業していましたが、私はずぶの素人でした。それが織機のことから織物のこと、繊維素材、縫製、ファッションなど、すべてを勉強しようというのですから大変でした。それでも必死でやっているうちに、こんな織り方はどうか、とか、こんな素材で織ったら面白いんじゃないか、などと考えながら試し織りを重ねてアイデアをストックしていきました。

門前払いの苦難を越えてパリコレのひのき舞台へ

―次々と斬新なアイデアを生み出す宮本さんに対して、周囲の反応は冷ややかでした。営業先で門前払いされることも多く、最後に売り込んだ先がデザイナーでした。

都心に近い八王子は立地条件から生産コストが高く、必要経費を計算すると、普通の値段の商品では採算が合いません。価格競争を超越した独創的な生地でなければ、商売は成り立たないと、私は織物の勉強を始めた時から思っていました。そこで自分なりにファッションの傾向を勉強して、「次に流行る生地は何か」を考えながら新しいアイデアを探っていったのです。そこから生まれた作品をアパレルメーカーに見てもらおうとしたのですが、どこも門前払い。それなら直接デザイナーへ、と営業に飛び込んで出会ったのが三宅一生さんでした。三宅さんは、一目見てパリコレの作品用の生地に採用してくれました。これがモード界に衝撃を与える結果となり、世界から認めてもらえるようになったのです。

繊維産業の明日のために

―宮本さんは今、日本の繊維産業の将来のために、新しい芽を育てていきたいと考えています。

繊維産業は世界全体の視野で見ると有数の成長産業です。しかし日本に限ると斜陽産業になってしまっているのが現実です。コスト競争力で途上国にかなわないのは、仕方ありません。だからこそ日本のアパレルメーカーには独創的なブランド力を身に付けてもらわなければなりません。日本の繊維産地の受注先は、ほとんどがアパレルメーカーだからです。

そこで、私は十数年前にNWD21という若手デザイナーをサポートする活動を始めました。資金の少ない若手作家は良質の生地を仕入れることが難しく、成功へのハンデを負っています。そこで意欲的な若者グループに、生地の創作や展示会などの場を提供することにしたのです。NWD21からは世界を舞台に活躍するデザイナーが生まれています。

また、全国の繊維産地を結んだ「テキスタイルネットワーク」も設立し、年2回のペースで展示会をしています。少数精鋭の繊維メーカーが集い、自社の自信作をデザイナーにじっくりと見てもらおう、という趣旨の展示会で、こうした動きが業界全体に広がることが活性化につながると思います。

(雑誌「法政」2010年3月号より)

profile

テキスタイルデザイナー・織物職人 宮本英治さん

テキスタイルデザイナー・織物職人 宮本英治さん

●みやもと・えいじ
1948年東京都生まれ。
1970年に本学経済学部を卒業した後、旅行会社を経て75年にみやしん株式会社へ入社。
93年にミモザ賞(原口理恵基金)やエミー賞(アメリカ)を相次いで受賞。
1996年、若手デザイナー育成のためのNWD21を設立。
97年テキスタイルネットワーク設立。04年より、みやしん株式会社代表取締役。
現在、文化ファッション大学院大学で後進の指導にあたっている。

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