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法政フォトジャーナル

2008.03.13

ハインリッヒ・フォン・シーボルト没後100年国際シンポジウム「小シーボルトの業績」を開催

・撮影場所/市ケ谷キャンパス

法政大学国際日本学研究センター・国際日本学研究所主催、オーストリア大使館、ドイツ連邦共和国大使館後援の国際シンポジウム「小シーボルトの業績−日本の民族学的研究と日本研究におけるコレクションの役割−」が、3月1日(土)、3月2日(日)の2日間にわたり、ボアソナード・タワー26階スカイホールで開催されました。

この国際シンポジウムは、ヨーゼフ・クライナー本学特任教授の企画により、1日目は、第1部「小シーボルトの生涯と業績」、第2部「日本の民族学的研究−小シーボルト以後−」を、2日目は第3部「日本研究とコレクション」という構成で行われました。

小シーボルトは、父であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男として1852(嘉永5)年ドイツに生まれ、1869(明治2)年日本へ渡来して約30年間、明治30年まで東京でのオーストリア・ハンガリー公使館に通訳官や外交官として勤めながら、父・大シーボルトの未完の日本研究大集成を完結するよう研究を重ね、日本とヨーロッパ、とりわけドイツとオーストリアとの文化交流にも大きな足跡を残しています。今年は没後100年に当たり、国内外から14人の講演者を招いて大変有意義なシンポジウムとなりました。

第1部は、まずハインリッヒ・フォン・シーボルトの生涯、特に日本考古学への貢献と、明治10年に行った大森貝塚の発掘成果の分析や、その翌年の北海道アイヌ民族文化の調査を考え合わせながら打ち出した、最初のまとまった型での日本民族・文化の起源論を考慮して、後の第2部の討議の基盤として整理されました。その第2のセッションでは、シーボルトのこの学説から発展してきた考古学的民族学(特に歴史民族学)的研究が論の中心となりました。日本国内の一元的対多元的民族起源論は昭和期に入ってからウィーンの民族学派およびフランスのルロア・グーランに影響を及ぼし、戦後再び日本の文化人類学の発展に大きく貢献しました。

第2部の最後、ジョセフ・キブルツフランス国立科学研究センター教授、セップ・リンハルトウィーン大学教授の発表は、現在日本研究に問われている、もう一つのパラダイムの変化(すなわちビジュアル回転ないしモノのコレクションの重要化)に触れられました。

第3部のすべての発表は博物館、美術館や大学あるいは個人コレクターとの共同研究が強調されました。特に、染織の専門家の祝嶺恭子沖縄県立芸術大学名誉教授と能面研究家で知られている野上記念法政大学能楽研究所所長の西野春雄教授の発表は、日本の伝統文化の研究に諸外国で保管されているコレクションの細目にわたる研究分析がいかに重要であるかということを明解に証左しました。

また、第1日目は駐日ドイツ連邦共和国大使、第2日目は駐日オーストリア大使が列席され、研究者の講演を大変興味深く聴かれていました。

会場には小シーボルトの著作・論文、特に日本の最も古い考古学の入門書『考古説略』(明治12年)並びに小シーボルトにまつわる古(公)文書と書籍、中には彼に宛てられた佐野常民と松方正義の手紙類が展示されました。また、祝嶺教授がベルリン国立民族博物館所蔵のコレクションを参考に復元した琉球王朝時代の着物(琉装)の展示もあり、約130人の参加者の目を引いていました。


駐日ドイツ大使 ハンス・ヨアヒム=デア氏が開会にあたりごあいさつされました。
駐日ドイツ大使 ハンス・ヨアヒム=デア氏が開会にあたりごあいさつされました。
2日間にわたり14人の講師による講演が行われました。
2日間にわたり14人の講師による講演が行われました。

シンポジウムを企画したヨーゼフ・クライナー特任教授
シンポジウムを企画したヨーゼフ・クライナー特任教授
小シーボルトにまつわる文書、資料がロビーに展示されました。
小シーボルトにまつわる文書、資料がロビーに展示されました。

左からヨーゼフ・クライナー特任教授、駐日オーストリア大使 ユッタ=シュテファン・バストル氏、堀江拓充常務理事、星野勉国際日本学研究所所長、セップ・リンハルト ウィーン大学教授。
左からヨーゼフ・クライナー特任教授、駐日オーストリア大使 ユッタ=シュテファン・バストル氏、堀江拓充常務理事、星野勉国際日本学研究所所長、セップ・リンハルト ウィーン大学教授。
会場内にはベルリン国立民族博物館所蔵のものを参考に復元した、琉球王朝の衣装が展示され、清成顧問も参加されました。
会場内にはベルリン国立民族博物館所蔵のものを参考に復元した、琉球王朝の衣装が展示され、清成顧問も参加されました。

 

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