法学部について

法学部合格者へのメッセージ

法学部について

法学部に合格されたあなたへ 法学部長 橡川泰史

 合格者の皆さん、おめでとうございます! 法学部を代表してお祝い申し上げます。

 

 法学部は法や政治について学ぶ場ですが、「法や政治を学ぶ」ということはいったいどのようなことなのか、今ひとつイメージがつかめないまま合格通知を手にしている方もいるでしょう。

 

 Covid-19の世界的大流行に振り回されてきた2年間、日常生活だけでなく学習の進め方でも様々な制約を課されて大変な思いをして過ごされた方が多いと思います。しかし、この2年間の皆さんの「大変さ」はいったいどのような仕組みでもたらされ、その仕組みを誰がどうやってコントロールしていて、また誰がどうやってコントロールすべきなのでしょうか。そして、皆さんの「大変さ」は必要なことだったのでしょうか。もっと別の「より良い感染対策のあり方」はあり得たのでしょうか。そういったことを考え、調査し、論じ合うことも「法や政治を学ぶ」ことの一部です。

 

 世界のニュースを注意深く追いかけて来た方であれば、感染症パンデミック対策ではどうしても「社会の安全」と「個人の自由」とを天秤にかけ、どこかでそのバランスをとらざるを得ないということに否応なしに気づかされたと思います。(皆さんの「大変さ」は、このバランスが「安全」に傾き「自由」を強く制約したことによってもたらされたわけですね。)そして、ロックダウンやフェイスマスクの着用、ワクチン接種などをめぐり様々な国で生じた軋轢(←我ながらとても控えめな表現ですが)を見れば、この「天秤にかける」「バランスをとる」という営みは、少数のエリートの識見にだけ頼っていても到底なしとげることができないだろうということも見えてきます。そこで共に暮らしている人種・宗教・思想信条・職業・所得階層などが異なる多様な人々が、ゆるやかなものであれなんらかの形で合意したものでなければ、実効性のある「対策」とはなり得ないのですから。(そして少し考えれば、これはパンデミック対策に限った話ではなく、災害対策でも、気候変動対策でも、多くの社会的問題で同じことが言えそうだということもわかるでしょう。)

 「実効性のある感染症対策」は社会全体で守られるべき「法」(ルール)の形をとらざるを得ません。そして、多様な人々の合意を取り付けて「法」を生み出す営みは「政治」の働きです。つまり「より良い対策」を求めることは、「より良い政治」と「より良い法」を求めるということを意味するのです。

 

「より良い政治」とは、「より良い法」とは、いったいどのようなものなのか、それはどのように実現されるものなのか。政治や法のあり方の良し悪しといったことをそもそも考えることができるものなのか。法学部で「法や政治を学ぶ」中で考えることになるこうした問題は、一見したところ随分と観念的・抽象的な問いかけですが、実は私たちが直面してきたこの2年間の「大変さ」に直結した問題でもあるわけです。

 「いや、そんなことを私たちが考えたところで、どうにもならないのでは?」と疑問に思われた方へは、「むしろ、私たちがそれを考えることを放棄すれば、さらに大変なことになるのを誰も止められなくなるのでは?」という問いを投げかけておきましょう。

 

私たち法政大学法学部の出発点は、徳川将軍とその幕府の治世が瓦解してからわずか12年後の1890年、日本という国のあり方自体が根底から変わっていこうとしていたまさにその時、薩埵正邦(24歳)、金丸鐵(28歳)、伊藤修(25歳)という3人の若者が創設した「東京法学社」にあります。彼らがこの結社の目的として掲げたのは、市井の人々に権利義務について学ぶ機会を提供することでこの日本という国の文明発展の一助となるのだという宣言でした。(東京法学社開校ノ趣旨より「我同胞兄弟ヲシテ権理義務ノ何タルヲ弁識シ且皇国ノ法典ヲ熟知セシメ以テ明治ノ文明ヲ稗補セム」)〔https://museum.hosei.ac.jp/archives/Users/Top  から閲覧可能

 

 この「文明発展の一助となる」という若者たちの気概が法政大学法学部の原点です。

 現在のパンデミックが収束した後も、この「文明」を維持発展させる上での多くの障害や危機に皆さんは必ず直面することになります。そのとき、法について、政治について深く学び、考え、論じ合い、その中で磨いた知性と見識を道具として、多くの「同胞兄弟」と手を携えて、より良い政治、より良い法を武器に立ち向かう人々が求められることになるでしょう。法政大学法学部を、そのための学びの場として活用してください。

 

橡川 泰史(とちかわ やすし)

法学部長 橡川泰史

法学部長 橡川泰史