2018年度

10月

2018年度

10月31日(水)

常務理事会を開催する。その後、2つのテーマによる2種の懇談会を昼食をはさんでおこなう。さらにその後、法政大学生協の小沢和浩理事長と生協職員の方々が、年に1回の活動説明をするために来て下さった。食堂の撤退が続いたのち、生協がフォレストガーデンを軌道に乗せてくれた。学生の食堂環境をさらに良質なものにするために、協力し合わねばならない。

10月30日(火)

佐藤優氏が来訪。雑誌『プレジデント』の「佐藤優の新しい教養」の対談をおこなった。佐藤氏との対談は2度目である。相変わらずのスピードとスケールの大きさに圧倒される。同志社大学の特別顧問(東京担当)をしておられ、大学に詳しい。法政大学にも関心をもって下さっている。仕上がりが楽しみだ。

10月28日(日)

国際日本学研究所の今後を議論する鼎談「改めて問う、「国際日本学」とは何か?-国際日本学研究所の過去・現在・未来-」が開催された。第二代研究所長の星野勉教授、第三代研究所長の安孫子信教授、現所長の小口雅史教授、そしてヨーゼフ・クライナー氏が集まった。法政大学が創成した国際日本学という概念はさまざまな大学に広がった。本学の研究所は沖縄、アイヌ文化、民俗学・民族学、中国との比較研究、仏教美術、江戸研究など、日本の多様性を包み込むようにしてなされてきた。そろそろ本学の国際日本学の方法と特徴を英語でまとめ、世界に発信する時だ。

10月25日(木)

大学院組織の自己点検懇談会を開催した。テーマは「大学院教育におけるコースワークの実質化―体系的な教育課程のしかけ創り―」だ。基調講演は、同志社大学の武蔵勝宏教授で、同志社大学総合政策科学研究科博士課程のカリキュラム設計について語って下さった。この専攻では学問分野別ではなく、「企業」「国際」「公共」などの区分けでコースを作っていて、学際性、総合性に特質がある。コースワークも、リサーチ・デザイン特講、量的分析特講、質的分析特講、特別研究科目などがあり、誰もが受講しなければならない基礎講義になっている。また博士論文の組織的指導がなされている。論文執筆は3人の教員(主査、副査)が指導しているという。本学でも、複数指導をおこなっている研究科がある。効果的であることは確かだ。自己点検評価は、委員会が自己点検評価結果を全学の内部質保証推進会議に提出し、会議はワークシートを点検して見直しを要請しているという。そのような組織的なルールが重要だ。かつて大学院はどこでも、個々の教員が指導院生に責任をもつ、教員個人に依存した方法で指導がおこなわれていた。しかしそれでは、教員によって指導の濃淡や質に違いが出る。博士論文の複数教員による組織的指導を増やしていく必要があるだろう。

法政大学大学院経営学研究科の新倉貴士教授による「経営学研究科博士課程における改革『複数指導教員制』と『ステップ制』の導入について」も講演があった。複数指導体制だけでなく、基本カリキュラムの設定とステップの設定によって、段階的に論文を完成させることができる。これも大事な方法である。個々の専攻ではさまざまな工夫がなされている。その情報交換をしつつも、必要な変化は組織全体で担っていくべきだ。

基調講演とディスカッションを聞いていて、まずは大学院のグローバル・ユニバーサル化が起こっていることを認識しなければならないと考えた。研究者養成だけでなく、日本での就職を希望する留学生や、知性を極める目的の社会人が入学し、多様な職業へつながっている。そうであるなら、リサーチ&ライティングなど、学部レベルの知識スキルを修士段階で身につける必要もある。また、改めて大学院の院生側のニーズ、社会人ニーズの広がりを把握し、教員の質の見える化をおこない、教員の学部・大学院におけるエフォートの配分ルールを確立すべきだ。大学院改革はさまざまやることがあるが、なによりも大学院に求められている役割の変化に目を向けねばならない。

朝日教育会議の打ち合わせがあった。
スポーツ庁からの「一般社団法人 大学スポーツ協会(UNIVAS)」の説明があった。大学スポーツが連携する時代になった。さらに透明性を高めていく必要がある。

10月24日(水)

常務理事会、役員ミーティング、HOSEI2030運営会議などを開催した。

10月23日(火)

スポーツ庁との面談前の打ち合わせや、卒業生教員懇談会での講演内容の打ち合わせをおこなった。夜は、11月20日におこなわれる公開シンポジウム「これからの家族を考える」の打ち合わせを兼ねて、当日のパネリストや主催者である花王財団の関係者と食事をした。当日は私が講演したあと、東京大学名誉教授の原島博氏、キャスターで立教大学講師の橋谷能理子さんと座談をする。原島氏とは、何十年も前から様々なところでご一緒し、顔なじみである。橋谷さんはサンデーモーニングのメインキャスターなので、やはり何度も一緒に仕事をしてきた。橋谷さんが郭洋春立教大学総長と、とても親しいことがわかって、何やら嬉しい。

10月19日(金)

午前中は付属三校の校長との学校長会議を開催した。
午後は、国立大学協会主催の「大学改革シンポジウム・高等教育の将来構想」があった。今回は私から日本私立大学連盟の提言「未来を先導する私立大学の将来像-2040年を見据えた私立大学の大学改革と人材育成-」を紹介し、次に静岡県立大学長で、公立大学協会副会長の鬼頭宏教授が、公立大学協会の提言「時代をLEADする公立大学―公立大学の将来構想に向けての議論の方向性と可能性―」を紹介し、最後に筑波大学長で国立大学協会副会長の永田恭介教授が、国立大学協会の提言「高等教育における国立大学の将来像」を紹介した。

その後、3人をまじえて100分のパネルディスカッションがおこなわれた。司会役はNHK解説委員の西川龍一氏、コメンテーターとして日経新聞の横山晋一郎氏、中小企業家同友会会長の広浜泰久氏、大阪府立公立高校校長会会長の村田純子氏が加わった。多くの議論があったので詳細は書き尽くせないが、社会が大きく変化するいま、大学教育の新しい質保証をどうするか、国私間格差をどう捉えるかが中心となった。様々な課題が浮き彫りになり、非常に面白いディスカッションだった。

10月18日(木)

グローバル戦略本部会議、学部長会議を開催した。

その後、『いにしえの恋歌──和歌と漢詩の世界』(筑摩書房)を刊行した、本学の人文科学研究科博士課程修了の彭丹(ほう・たん)さん(社会学部兼任講師)の出版祝いの食事会をおこなった。日中比較文化の本をすでに3冊も出している。日本語の文章が美しく、まだまだ執筆テーマをいくつももっている。楽しみだ。

10月17日(水)

午前中、文部科学省に出かける。
文部科学省のもとに設置されている中央教育審議会(中教審)が、「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン答申案」を提出した。中教審の大学分科会はその答申案に対しての意見を、全国知事会や、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学連盟、日本私立大学協会、経団連、経済同友会、その他さまざまな高等教育機関から聞くことになった。そのヒアリングの日である。すでに日本私立大学連盟では、私が座長をつとめる政策研究部門会議が文部科学省から説明を受け、その後、部門会議委員や会長副会長等の意見をとりまとめ、提出していた。その意見の概要を規定の10分でお話しし、質疑に応じた。申し上げた意見のひとつに、「国は、全国的な学生調査や大学調査を通じて整理し、比較できるよう一覧化して公表する、との記述は削除すべきである」という項目があった。情報公表の主体はなによりも大学自身とし、国の役割は情報公開(公表)の支援・後押しであるべき、という理由からである。中教審委員の質問はそこに集中した。大学が積極的に情報公開しないからこういう記述になった、とのこと。日本私立大学連盟の加盟大学に確認し、もしそうであるなら公表を促さねばならない。

その後、本学の常務理事会にかけつける。
役員ミーティングを中座して再び移動。こんどは日本私立大学連盟主催の私大連フォーラム2018「未来を先導する私立大学の将来像-2040年を見据えた私立大学の大学改革と人材育成-」に、文部科学省高等教育局長の義本博司氏、経団連副会長・教育問題委員長の岡本毅氏とともに登壇した。初めに私が私大連盟のまとめた将来像を30分で説明した。その後は、中教審会長の北山禎介氏、経済財政諮問会議と人生100年時代構想会議の議員である高橋進氏、そして日本私立大学連盟の鎌田薫会長(早稲田大学総長)、村田治副会長(関西学院大学長)によるパネルディスカッションが、松岡敬同志社大学長の司会のもとでおこなわれた。
ディスカッションでは、なぜこの30年間大学はリカレント教育に踏み出さなかったのかなど、今私たちが突きつけられている課題が、次々に出てきた。

10月16日(火)

本学職員の研修として、ダイバーシティ・シンポジウムが開催された。
「人材の多様性に大学はどう対応すべきか──ユニバーサルマナーという考え方」というテーマで、学生相談・支援室長である横内正雄経営学部教授が、本学の障がい学生支援の現状と課題を話して下さった。また本学の特例子会社である「おれんじ・ふぉれすと」に出向してもらっている職員の杉田治夫氏が、障がい者雇用をどのように進め、障がい者の方々が現場でどのような仕事をしているか、たいへん具体的に説明してくれた。清掃班、園芸班のほか、資料封入や地域への貢献活動など、大学を支えてくださっている「おれんじ・ふぉれすと」社員の姿を、学生もぜひ意識して欲しい。

そして、株式会社ミライロの薄葉幸恵氏による「ユニバーサルマナー」についての講演があった。聴覚に障がいを持つ当事者として、コミュニケーションをおこなうために必要な意識や行動とはどういうものか、音声なしで意思疎通をする体験をまじえ、具体的に明瞭に、そしてとても美しく話して下さった。まず、ユニバーサルマナーを求めるのはどういう人々か?高齢者、障がい者、3歳未満の子供である。もっとも多いのは高齢者で人口の28%を占める。総計すると、社会の約4割がユニバーサルマナーを必要としていることがわかった。印象的な言葉がいくつもあった。「障がいは人ではなく(健常者に合わせた)環境にある」「ハードが変えられなくても、私たちのハートは変えられる」。自分が変わるところから始めよう、というメッセージが伝わる。ユニバーサルマナーには、無関心でもおせっかいでもない最適な方法がある、という。それは「お手伝いできることはありますか」の一言だ。まずは、当事者が必要としていることを尋ねる。一方、自分から申し出るときには、押し付けるのではなく選択肢を示す。このような、多様な人々と共存するための生き方を広めるのは、ダイバーシティ宣言をおこなった本学にとって必須の基盤であろう。

この日、本学で実際に聴覚障がい学生をサポートしているノートテイカーの学生たちが、薄葉幸恵氏への質問を伝える支援をした。薄葉氏も「とても分かりやすかった」と感激。素晴らしいシンポジウムだった。企画して下さったダイバーシティ推進委員会と武石恵美子座長に感謝。

午後は、本学におけるさまざまな会議の打ち合わせや事前説明を経て、場所はアルカディア市ヶ谷に移り、日本私立大学連盟の常務理事会、理事会、総合政策センター企画会議が、立て続けに開催された。働き方改革問題と、就職ルール問題について、プロジェクトを立てて集中論議することが決まった。

10月15日(月)

小金井市の西岡真一郎市長が来訪して下さった。小金井市と本学との間で包括的連携協定を結ぶことになり、その締結式がおこなわれたのだ。
小金井市には、本学の理工学部、情報科学部、生命科学部がある。西岡市長は、今年、本学の箱根駅伝応援にもかけつけて下さった。すでに催し物の交流や、小金井市民の図書館利用など、協力関係ができているが、今後いっそう、多様な交流をしていきたい。

10月14日(日)

米子空港に向かう前に、先に訪問したロサンゼルスでの交渉と案内を引き受けて下さった、校友の長谷川いずみさんのご実家である「出世稲荷神社」に立ち寄った。長谷川いずみさんは、松江市の観光大使をしておられる。いずみさんのお姉さまである長谷川陽子さんにおめにかかることができた。このかたは女性だけの企業を設立し、社長を譲ったあと、現在は子供のための情報モラル教育について、全国を飛び回って講演をしておられる。

空港に行く途中、2つの興味深い景色を見た。ひとつは「大根島(だいこんしま)」と呼ばれる八束町で、朝鮮人参の畑を見たことだ。もともと島だったところだが、今は橋でつながっている。ここは江戸時代から朝鮮人参を栽培しており、藩の収入源となっていた。江戸時代の絵図に見える、藁で屋根を作って栽培する方法そのままだ。ビニールなどではうまくいかず、今でも藁が必要だが、入手しにくくなっているという。

もうひとつの情景は、「ベタ踏み坂」と称される江島大橋である。向こう側が全く見えない急坂で、車のコマーシャルに使われた。松江市役所の方によれば、法政大学の学生が作った映像があり、何らかのコマーシャルに使われたらしい。松江市役所の方々が送迎をして下さったことで、行き帰りも良い勉強になった。ありがとうございました。

10月13日(土)

松江市に講演に出かけた。松江市から、明治150年記念の講演を依頼されたのである。松江市では、法政大学(あるいはその前身)で校長や総理をつとめた梅謙次郎博士が名誉市民になっており、「民法の父」と呼ばれ、地域の偉人の一人とされている。そこで、「法政大学にとっての梅謙次郎」という題名で梅と法政大学との関わりを話した。そしてこの講演に合わせ、校友会の中国ブロック会議と、島根県校友会総会、懇親会が開催された。梅謙次郎を軸にした関わりがあるので、現在、松江市との協定を検討中である。この日も松浦正敬市長と食事をしながら、松江市の環境の課題や、江戸時代の私塾について話し込んだ。

梅は和仏法律学校校長を務めたあと、専門学校令により学校名を法政大学とした1903年、法政大学の最初の「総理」となった。また1904年には梅謙次郎が、「清国留学生法政速成科」の申請をおこない認可されたことで、2000人を超える留学生が法政大学にやってきた。さらに、伊藤博文の依頼で梅は韓国に赴き、韓国政府の法律顧問として裁判制度の改革や、民法、商法の策定をおこなった。そのあいだにソウルで亡くなるのだが、梅は、韓国は日本より文明度が高いことや、日本は韓国を見習ってきたことを認識していたようだ。

さらに注目すべきことは、梅が「進歩」というものを理想に近づくこと、としている点である。明治時代の人々が西欧化だけをめざしていたのかというと、そうではない。新しい社会を作っていく上で何を理想とすべきかを考え、法律をそこに至る極めて具体的、現実的な方法と捉えていたようだ。まさに「実践知」と重なる価値観である。3人の創立者だけでなく、梅謙次郎をも考えることで、「理想をもって新しい社会とそのルールつくる」ことに関わってきた法政大学の歴史が、さらに鮮明になってきた。今後の大学のグローバリゼーションのあり方も、その歴史の一環として考えるべきだろう。

夜になって開催された校友会の懇親会は、本学評議員の栂野洋司さんが中心となり、島根県校友会が総力を上げて、様々なアトラクションを準備してくださり、大変充実した楽しい時間だった。同世代の校友たちがこんなにも芸達者だったとは驚いた。そのもてなしのお気持ちに、心からの敬意と感謝を捧げたい。

10月11日(木)

監査法人による理事長、理事たちへのヒアリングがおこなわれた。大学の監査室による内部監査、監事による監査、そして監査法人による監査と、大学は部局ごと、大学全体など、さまざまな規模で何重もの監査を受ける仕組みになっている。

10月10日(水)

常務理事会、理事会、常務理事会懇談会を開催した。

10月9日(火)

立教大学の郭洋春(カク・ヤンチュン)総長と、HOSEI ONLINEのための対談をおこなった。郭総長は法政大学経済学部のご出身。高校時代は医者志望だったが、世界に大きな影響力を与える経済学に惹かれた。そして『資本論』を学ぶために、当時、マルクス経済学の高名な学者たちが集まっていた法政大学を選んだという。「学問が面白くてしかたない」という表情で活き活きと語る郭総長の話に、ぐんぐんと引き込まれる。学部を卒業する時に指導教員が法政大学をやめられてしまったため、立教大学大学院にお入りになった。ともかく話が面白い。11月1日公開予定のHOSEI ONLINEをお楽しみに。

10月7日(日)

本学後援会の首都圏父母懇談会が開催された。1時間、大学の近況とこれからの日本の変化についてお話しした。

10月6日(土)

本学校友会主催の「全国卒業生の集い」が、今年は千葉県でおこなわれた。会場は東京ベイ幕張ホールである。800人強の卒業生が集まった。総長挨拶は30分という長さだったので、大学の近況と、ロサンゼルスでの「法政ミーティング」の話などを、画像をまじえてお伝えした。千葉市の熊谷俊人市長、菅義偉官房長官がご列席。来年は徳島で開催する。

10月4日(木)

学部長会議を開催した。

10月2日(火)、3日(水)

移動日。時差の関係で、帰国には2日間かかった。

10月1日(月)

カリフォルニア州立大学フラートン校を訪れた。Kazuha Watanabe先生の授業で講義する目的がひとつと、大学間協定の可能性を話し合うために、グローバルセンターのディレクターたちにおめにかかる目的がもうひとつあった。まず講義が始まる前に、Humanities and Social Sciences(人文社会科学部)の先生方が集まって下さった。Watanabe先生は言語学の研究者で、7ヶ国語ほどは読めるという。中国歴史学のSun先生は、私が同僚と共訳したSoutheast Asia in the age of commerceの中国語訳をなさった方だった。同じ本を翻訳で共有しているかたとおめにかかれるとは、何という縁だろう。そのほかにも、スペイン・ポルトガルの語学と文学を専門にする研究者、中東の歴史を専門にする研究者、中国の歴史を研究しているベトナム人の血を引いた中国系の先生などが集まり、たいへん楽しい会話になった。州立大学は23校ある。高校の成績が一定以上であれば入学でき、私立大学より授業料が抑えられているので学生数が増えてしまい、教室も教員も足りなくなっているそうだ。いろいろな困難を抱えているようだが、とても教員どうし仲が良い。しかし教員たちはそれぞれ、年俸が異なるという。業績や交渉によって給与が決まるからである。その結果、強い交渉をする男性に比較して、女性の給与が低くなりがちらしい。二つのアメリカの大学を訪れたが、それぞれ全く異なる個性があった。

夜はロサンゼルス校友会の方々が食事会を主催して下さった。渡米直後から校友どうしが協力しあって仕事をしてきた事例もあり、やはり校友の絆を作っていくことは、厳しい環境もとにあればあるほど、それぞれの人生にとってとても大切に思える。ロサンゼルス校友会の皆さん、ありがとうございました。