2018年度

7月

2018年度

7月31日(火)

研究所長会議と、研究総合本部会議を開催した。
その後、ザ・プリンス パークタワー東京で開催された大和証券主催の「学校経理研究会」において、「未来を導く法政大学の将来像」という演題で講演をおこなった。

7月30日(月)

法政大学ミュージアム開設準備委員会を開催した。その後、江戸東京研究センターの横山泰子センター長とともに、研究ブランディング事業について、「大学Times」の取材を受けた。法政大学にふさわしい事業であることや、新しい東京の歴史文化地図の作成について、十分に伝えられたと思う。

7月27日(金)

全学広報戦略会議を開催した。広報はいくつもの部署に分かれて行われているので、大学法人として統一すべき課題を確認し、広報ツールについて話し合うために、おこなわれている会議である。ホームページのリニューアルなどについて検討した。

7月26日(木)

毎日新聞出版の雑誌「俳句αあるふぁ」 の取材があった。来年は年号が変わる。そこで、江戸時代にとって年号とは何だったのか?という問いに答えるインタビューだった。天皇の代替わりで年号が変わる、という方法しか持たないのが「天皇制」となった近代日本の特徴である。江戸時代までは、天皇の代替わりの他にも、災害その他多様な理由で年号を変えた。数年や1年で年号が変わることもあり、不便なので日常ではあまり使われなかった。60年を単位とする十干十二支の組み合わせの方を使ったのである。
その後、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「東京2020有識者懇談会」 の事務局の方が、進捗状況の説明のために来て下さった。
そのあと、海外校友会への出張の打ち合わせをおこない、さらに、キャンパス再構築部会多摩ワーキング・グループで、懇談会を開催した。

7月25日(水)

常務理事会、予算編成委員会、常務理事会懇談会を開催した。

7月23日(月)

サントリー美術館で企画会議をおこなった。会議の前に、9月2日まで開催している「琉球 美の宝庫」を見た。今までにも、沖縄を含めた他の博物館でも見ていた螺鈿(らでん)の漆器が、照明の当て方に工夫があって今回は実に美しかった。夜の琉球で、月明かり星明り、あるいはろうそくの光で見たらこんなふうなのではないかと思え、まるで琉球にいるような心地になった。今まで見たことのない、琉球の絵師による質の高い絵画も展示され、中国の影響を受けた琉球文化と技術のレベルの高さを実感できる。東南アジア交易の広さもわかる。以前、沖縄県の高江で、芥川賞作家の目取真俊氏らに対し、大阪府警から派遣された機動隊員が「土人」と発言したことがあった。江戸時代の日本人は、朝鮮国と琉球国が、日本より高い文化レベルをもった国であることを知っていたが、その機動隊員は、琉球人が日本の先住民ではないこと、日本より先進的な学問と文化をもった異国の人であったこと、を知らなかったのだろう。差別は無知から生まれる。本学の沖縄文化研究所は、毎年公開授業をおこなっている。法政大学にいるあいだに、沖縄について学んでほしい。

7月22日(日)

天城学長会議の2日目は、分科会の報告と全体会議がおこなわれた。「社会人」については、年齢にこだわらず大学・大学院進学率をさらに上げていく必要があること、いつでも戻れる大学にすることなどが挙げられ、「リカレント教育は必須のものになる」という見解で一致した。しかしそれを許容する社会が必要なのである。

「留学生」については、日本語教育および日本なりの魅力的なプログラムが必要、という論点が出た。そのほかにも、「社会のバイリンガル化が必須」という意見も、考えさせられた。日本の高等教育の特徴としては、支援者(資金)が少ないことは明らかだが、「自由主義的、民主主義的、安全、そしてフェアな学び」という特徴が確認された。この基盤は何よりも大切だろう

少なくなっていく「18歳」については、「入試ストレスをどうするか」に焦点が当たった。今求められている能力と、正解がある問題に答える入試とは矛盾がある。それを乗り越えねばならないことは、多くの学長が考えている。「バカロレアを使ったらどうか」「Eポートフォリオを使って主体性をはかる方法も検討すべき」という意見も出た。企業も社会も、大学をスクリーニング(ふるい分け)の道具としか見ていない。だから、入学時点ですでに社会に出るときのふるい分けは終わっている、ということになる。これでは学ぶ意欲が出ない。これを崩すには、学生が複数の大学を動く流動化も必要となる。多くの学長が、偏差値によるスクリーニングで成り立つ大学を問題視している。

学長たちが、いまの課題に直面し、それを乗り越える様々な方法を出し合いながら、自ら考える。それができるまれな場である。毎年、長い時間をかけてその場を準備して下さるIBMには、感謝している。

7月21日(土)

城学長会議の今年のテーマは「キャリアパス形成における大学の役割」で、筑波大学の永田恭介学長がまとめた。

基調講演はリクルートワークスの大久保幸夫さんによる「大学は何を考え、どう改革されていくべきか」であった。新卒一括採用の弊害が指摘され通年採用化が進んでいるという。社会人教育やダイバーシティについての提言もあった。大久保さんが示してくださったデータによると、大学生の66.3%が大学後期に進路を決めている。つまり入試時点では将来のことはあまり考えていないようだ。もっと衝撃だったのは、生涯にわたって学び続けようとする習慣、すなわち継続学習習慣を大学で身につけた人はわずか12.6%だという。大学教育の本来は、まさに継続学習の習慣をつけることなのである。それができていない。リカレント教育も含め、社会に出てからの学習の継続をどう支援するか。これも大学の役割になる。ダイバーシティについては、女性たちが「自分がリーダーシップを発揮すべき」とは考えていない点に問題がありそうだ。大学における女性リーダーシップ教育の必要性について提言があった。留学生、社会人など多様な学生のみならず、多様な雇用が広がる。そこに、教員のコミュニケーションスキルや基礎知識がもっと必要だという意見は、もっともだと思う。

その後、女性たちはどのように働き、育児を継続してきたかについて、アサヒビールの酵母研究者である山岸裕美さんとIBMの川上結子さんの話を伺った。お二人とも管理職である。個人史から、多くの考えるべきテーマが出現した。
その後は分科会討論となった。「社会人」「留学生」「18歳」の3つのグループに分かれた。

7月20日(金)

三付属校の校長たちと学校長会議を開催した。
その後、伊豆半島の天城にあるIBMの研修所「天城ホームステッド」まで行った。今日から、国公私立大学の有志の学長たちが集まる「天城学長会議」である。私は毎年「世話人」を務めている。まずは世話人会議と、前日入りなさった学長たちとの懇親会がおこなわれた。集まった学長の数は今までで最も多く、女性学長たちも、もっとも多くなった。

7月19日(木)

明治大学、関西大学との三大学連携事業の一つとして、明治大学に次いで、2019年2月に開催する「ボアソナードと教え子たち」展とその講演、シンポジウムについての打ち合わせをおこなった。これから、本学大学史委員会のメンバーなどを中心に様々な方のご意見を伺いながら進めていく。
その後、拡大キャンパス再構築特設部会を開催し、次いで、学部長会議を開催した。

夜は、毎年開催している「受賞・表彰を受けられた教員に対する祝賀懇親会」を、今年も開催した。2017年度中に大学外で何らかの受賞・表彰を受けた教員は26人だった。その成果についてお話を伺い、お祝いをした。すべての話が面白く、いつも楽しみな日である。17日の日誌に書いたように、本学は、権威ある賞を受賞した教員数が私学では慶応義塾大学、早稲田大学に次ぐ3位である。これからもこの数は伸びていくだろう。

7月18日(水)

常務理事会を開催した。

7月17日(火)

大学通信が発行するムック『卓越する大学』のインタビューがおこなわれた。今年もまた、グローバル化、長期ビジョン、ブランディングなどの進捗をお話ししたが、とりわけ、私大研究ブランディング事業の内容や、2012~2016年の論文の生産性が国内大学で6位、私学で1位であること(「日本経済新聞」2018.6.4)、1968年~2017年に権威ある人文・社会科学系の賞を受賞した教員数が国内大学で9位、私学では慶応義塾大学、早稲田大学に次ぐ3位であること(『2019大学ランキング』朝日新聞出版 2018)も、知っていただいた。理工系の研究からは、介護やリハビリに使うロボティックスの研究、廃棄されるLED照明からレアメタルを再資源化する研究、Deep learningによる植物の病気のAI診断の研究などを紹介した。本学の理工系の研究は、社会貢献という特徴をもっている。教育だけでなく、その基本となる研究力の高さについての発信も、ますます必要である。

日本私立大学連盟の理事会と常務理事会がおこなわれた。大学設置・学校法人審議会の、「学校法人制度の改善方策について」の検討素案が出てきた。大学版のガバナンス・コードが制定されることになるだろう。

7月13日(金)

法政第二中学高等学校において、人件費改定の説明会を開催した。

7月11日(水)

常務理事会、理事会を開催した。

その後、本学の国際日本学研究所主催の公開研究会に出席した。本学文学部史学科准教授で、国際日本学研究所兼担所員でもある東南アジア史の専門家、北川香子氏による「17・18世紀カンボジアから日本への友好の書簡-近藤重蔵編『外国関係書簡』より-」の発表である。私は32年前の著書である『江戸の想像力』から、日本とアジアとの関係を軸に研究してきた。近藤重蔵についてもこの著書で、長崎滞在中に何をおこなっていたのか、仮説を立てている。その長崎滞在のあいだに、近藤重蔵はカンボジアからの手紙を、正確なクメール文字で書き写していたのである。北川准教授はそれを発見したのだ。このご発表では、近藤重蔵が『外国関係書簡』『外蕃通書』などで様々な外国との書簡類を分類調査していることをもとに、カンボジアから日本に、クメール語と漢文で18世紀なかごろまで数度にわたって手紙が来たこと、それに対して日本からも返信していることなどを述べ、そのなかの漢文が添付されていないクメール語のみの手紙を、近藤重蔵が書き写していることがわかったという。
小口雅史所長は、私がこの研究に深い関心を抱くことを見越して、公開研究会の日時を私のスケジュールに合わせて下さった。感謝。

7月9日(月)

朝、秋田を出て、東京経由で大阪へ行く。サントリー地域文化賞の最終選考会の日である。すっかり気持ちを切り替えねばならないほど、今年のサントリー地域文化賞の最終候補は結果的に西に集中した。偶然ではあるが、豪雨で今もたいへんな地域だ。心からお見舞い申し上げます。

7月8日(日)

早朝に東京を出て、秋田市に向かった。今年も全国各地で、本学学生の保護者たちの組織である後援会の支部総会・父母懇談会が始まる。総長は20年、30年などの周年記念の支部をまわる。今日はその最初である。8月にも、週末には各地をめぐる。現在の後援会は、卒業生の組織である校友会とともに、一般の方々にも公開する講演会を開催して下さる。今年は全ての後援会周年行事における講演が一般公開だ。企画や会場設定にご苦労なさったであろう。感謝。

一般公開講演では大学のことだけで終わるのではなく、江戸時代の視点から、現代社会とこれからの社会を展望し、それが大学のビジョンとどうつながっているかを、お話しすることにしている。出かけていくその地域のことにも、必ず言及する。今年の演題は、「江戸から考える変革の時代」で統一しているが、そこに、それぞれの地域にふさわしい話題が加わる。

私の研究およびゼミ合宿のフィールドであった秋田については、お話ししたいことが多すぎて、全てをお話しできなかった。秋田蘭画と小田野直武の話を中心にしたが、実は、フィールドにしていた白神山地のこと、白神を知り尽くしていたガイドの市川善吉さんのこと、合宿に必ず参加していただいた二ツ井在住の作家の簾内敬司さんのこと、秋田の番楽(山伏の影響を受けた山岳地帯の神楽)を担っている富根在住の大高政秀さんのことをお話しできなかった。簾内さんは私と同じ年だが、2年前の7月9日に亡くなった。明日は命日なのだ。小説『涙ぐむ目で踊る』は傑作である。市川さんは子供の頃から山に生きた人で、昨年の10月、山で亡くなった。86歳だった。私も学生たちも、山のことブナのことをたくさん教えていただいた。大高さんは東北電力の社員だが同時に見事な踊り手で、『番楽を踊る』という素晴らしい本も出した。学生たちは彼の指導で番楽の稽古をした。彼の属する富根番楽の皆さんを神田明神に招き、東京の方々に見ていただいたこともある。私の著書『鄙への想い』に、これらのことを書いている。この本はやはり北秋田、切石の出身である写真家、石山貴美子さんと一緒に作った本だ。

お話しできなかったこれらのことを、秋田の後援会、校友会の方々が読んでくださると嬉しい。

7月7日(土)

毎年おこなわれる集英社の開高健ノンフィクション賞の選考会があった。今回も、本学経済学部の藤沢周教授、姜尚中さん、茂木健一郎さん、そして映画監督の森達也さんとご一緒した。今回も票が割れ、それぞれ議論を尽くし、長い時間をかけてようやく決定した。
昨日、麻原死刑囚ほか、オウム真理教の死刑囚たちの死刑執行がおこなわれた。この話題でも深い座談となった。森さんは事件からずっとこの問題にかかわっていらした。死刑制度についてのシンポジウムでご一緒したこともある。弟子たちによる「忖度」に満ちた情報の呈上が何をもたらすか、今の政治と無縁では無い。だからこそ真相を明らかにすることが重要だったのだが、しかしその源は絶たれた。理由は単に「平成のあいだに」だった。

7月6日(金)

明治大学博物館特別展示室で、7月7日(土)から8月5日(日)の会期で、三大学連携協力協定締結記念特別展示「ボアソナードとその教え子たち」が開催されるにあたり、法政大学、関西大学を含めた3大学の学長、総長によるテープカットがおこなわれた。明治大学は、たいへん美しく立派なテープカットのしつらいを整えて下さり、素晴らしいスタートになった。
午後には、明治大学リバティタワーの、創設者名を冠した岸本辰雄ホールにおいて、法学部長で大学史資料センター所長でもある村上一博教授による特別講演「ボアソナードと三兄弟」がおこなわれた。ボアソナードと三大学の設立者たちとの詳細な関係が浮かび上がり、私は、日本の自由民権運動と、フランス、イギリス、ドイツそれぞれの法学の導入とが、どのように関わり、江戸から明治への社会変革がおこなわれたのか、ますます関心が深くなった。本学では来年2月に「ボアソナードとその教え子たち」展が巡回開催され、シンポジウムがおこなわれる。基調講演とシンポジウムの構成に向かって、知りたいこと、考えたいことが、山ほどできてしまった。土屋恵一郎学長と村上一博学部長、そして明治大学の職員の方々に深く感謝する。

なおこの日の朝のNHKニュースには、関西大学の高槻キャンパスに通う学生たちが登場していた。6月18日の震災の日、駅に出てスマホの充電ボランディアをおこなったのである。多くの人が助けられたという。今、誰が何に困っているかを考え柔軟に即座に行動することこそ、ボランティアの精神だ。とても良いニュースだった。

本学市ケ谷キャンパスに戻って、こんどは八王子にある公益財団法人大学セミナーハウス 主催の「大学職員セミナー」で講演した。これからの職員が、学び続けながら新しい時代の大学に貢献するにはどういう仕組みが必要か、お話しした。

7月5日(木)

デザイン工学部の陣内秀信名誉教授、福井恒明教授と、外濠についてのシンポジウムの打ち合わせをおこなった。
産経新聞が、本学の私立大学研究ブランディング事業(江戸東京研究センター)についてインタビューにいらした。本学の江戸文化研究と、江戸東京研究の長い歴史についてお話しした。
その後、学部長会議を開催した。

7月4日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。

7月3日(火)

多摩キャンパスで人件費説明会を開催した。