4月

◆4月15日(日)

水俣フォーラム主催「石牟礼道子さんを送る夕べ」が有楽町・朝日ホールで開催された。私の他、緒方正人(漁師)、高橋睦郎(詩人)、若松英輔(批評家)、北川フラム(アートディレクター)、栗原 彬(社会学)、土屋恵一郎(明治大学学長)、中村桂子(生命誌)、臼井隆一郎(ヨーロッパ文化論)、米本浩二(毎日新聞社)の各氏が登壇し、各々、石牟礼さんについて語った。澤地久枝さんも予定されていたが、前日に国会前デモに参加して体調を崩したとのこと。約千人のお客様が集まり、皆さんが、それぞれの話を大いに楽しんでいた。お別れの会であるのに会場には笑いが渦巻いた。石牟礼さんの人柄が、全員に伝わったのである。参加者は自ら花を用意して舞台上に献花し、その花をまた、希望するかたがたが持ち帰った。分け合う。それが石牟礼さんのやりかただからである。

石牟礼さんのインタビュー記事「不知火のほとりで」が、毎日新聞西部本社版に約50回続いた。これは米本浩二さんの担当で、毎回素晴らしい文章でまとめられていた。米本さんは石牟礼道子評伝もお書きになり、これも良い評伝で、書評もさせていただいた。この日のスピーチにも才能があふれ出ていた。これからお書きになる著書も楽しみだ。

明治大学の土屋学長は、石牟礼さんの能の代表作「不知火」のプロデューサーである。その経緯と初演当日の奇蹟にも、心を打たれた。石牟礼さんはそれまで、水俣で一度も水俣病についての話をしたことがなかった。話をするかわりに、「不知火」の水俣野外上演を望んだのである。そういう方法で、患者たちへの差別感が深かった水俣の人々に、水俣病の意味を伝えたかったのである。しかし当日は、台風が予測されていた。屋内上演の準備もしなければならなかった。ところが午後になると台風が水俣を逸れ、上演がおこなわれる夜には、星空となったのである。上演は成功した。台風は次の日に襲来したという。

◆4月11日(水)

常務理事会、理事会、理事会懇談会を開催した。

◆4月10日(火)

奨学金返還免除者を決める学内会議を開催。
週刊東洋経済臨時増刊「本当に強い大学(2018年度版)」の取材があった。例年、国際化についてのインタビューだが、今回はそれだけでなく、法政大学の「強み」「特徴」が話題になった。留学への手厚い支援、国際化の早いスタート、国際文化学部など「国際」を冠した学部の設立の早さ、国際日本学インスティテュートやキャリアデザイン学部のような、日本初の教育・研究組織の設立など、とにかく早い。大学界におけるフロントランナーなのである。そのことをもっと発信すべきだ。

夜は、外部の企業の会議。その後、「毎日新聞」の鼎談書評がおこなわれた。亡くなった石牟礼道子さんの追悼書評で、三砂ちづるさん、平松洋子さんとおこなった。書評欄を率いている池澤夏樹さんも来て下さって、久々におめにかかった。私は長い間、毎日新聞の書評委員をつとめていた。文章量の多い、充実した書評欄として知られている。

◆4月7日(土)

スーパーグローバルハイスクール(SGH)である法政大学女子高等学校が、性別を問わない「法政大学国際高等学校」となった。この日は入学式だった。雨も止んで空は晴れ渡り、さわやかな入学式になった。入学式の後には、「自由を生き抜く実践知」をテーマにした、3年生たちとの懇談の機会ももった。これはいずれ印刷物になる。

男女の人数枠を決めない募集方法をとっている。そこで、まだ男子生徒は少ないが、すっかり溶け込んでいた。人間は男性と女性にはっきり二分されるわけではないことが、最近は明確になってきている。人として共に学ぶ学校になっていくことを、ひとつの目標にしている。

国際高校はクラスというものを持たない。入学式ではクラス担当が紹介されたが、相談に乗りサポートするのが役割であって、集団的なまとまりを作る役割ではない。クラス別の教室も持たず、大学のように科目を選択して履修する。空き時間を過ごす部屋も作られた。狭隘な環境で申し訳なく思っているが、教職員たちは知恵を出し合って、とても良いスタートを切ってくれた。日本の高校のフロントランナーとして、どのような学校に育っていくのか、とても楽しみになった。

◆4月5日(木)

大学院の研究科長会議、新任職員の研修会で講演、学部長会議と続く。今年度の、学部、大学院、職員の仕事が、本格的に始まった。

◆4月4日(水)

常務理事会と、テーマを定めて議論する常務理事会懇談会が開催された。

◆4月3日(火)

2018年度入学式をおこなった。私は、明治150年ということもあって、法政大学の礎ができたとき、社会はどのような議論の熱気にあふれていたのかを、江戸時代とのつながりで話した。本学は議論する学習結社として出現したと思われる。

今年度から、学位授与式では校友会長に、入学式では後援会長にご挨拶をお願いし、入学式のみ、各界で活躍する本学卒業生に祝辞をお願いすることとなった。学部長の列席も、午前の学部と午後の学部に分け、学生たちが自分の所属学部の学部長のメッセージをしっかり聞けるようにした。

今年来ていただいたのは、広島平和文化センター理事長の小溝泰義(こみぞ・やすよし)氏である。本学の法学部を卒業後、外務省に入省し、国際原子力機関(IAEA)事務局事務局長特別補佐官、条約局法規課専門官、条約局法規課法規調整官、総合外交政策局軍縮不拡散・科学部不拡散・科学原子力課国際原子力協力室長、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、駐クウェート国特命全権大使を歴任なさった。現在、広島平和文化センター理事長とともに、外務省の核軍縮の実質的な進展のための賢人会議委員もなさり、平和首長会議の事務総長もなさっておられる。平和首長会議は、核兵器の廃絶をめざす都市の首長たちの集まりで、2018年現在、世界163カ国・地域7,568都市により構成されている。

小溝さんの熱意あふれるご祝辞には心を打たれた。3つのことを話して下さった。第一に、広島・長崎のかたたちの立場に立ったメッセージである。二度とあのような残酷残虐な行為がなされないように、そして二度と自分たちのような思いをさせないために、ぜひとも核兵器廃絶を実現する、というメッセージだ。二つ目には、世界平和のための国際的な連携は可能だということを、実例をもってお話になった。それは、1954年にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験と第五福竜丸の被曝をきっかけに、法政大学の安井郁(かおる)教授が起こした水爆禁止署名運動である。このとき、国民の3分の1(有権者の約半分とも言われる)の署名が集まり、原水爆禁止日本協議会が発足したのである。核実験はいまだになくなってはいないが、地下と実験室に場所を移した。2017年に核兵器廃絶国際キャンペーン(アイキャン)がノーベル平和賞を受賞した。しかし核兵器はなくなっていない。だからこそ、運動は何よりも重要なのである。その思いが強く伝わってきた。第三は、「独特の専門性を持とう」というメッセージだ。「独特の」というのは、世間が分類する専門性ではなく、「自分にしかできないこと」をもって社会の役に立てようという意味である。小溝さんは、核廃絶に向かって多くの人を説得しつないでいく、という役割を果たしておられる。専門性とは、社会に与えられる資格のことだけではなく、自分で発見し自分で作り上げていくものなのである。これは「自由を生き抜く実践知」につながる、大事な考え方である。

卒業後50年を迎えた校友の方々を入学式にお迎えした。これも3年目に入った。卒業生たちはとりわけ、小溝さんのスピーチに心を打たれたという。今年から、スカイホールで懇親会を開催することになった。短い時間であったが交流することができて、思い出深い日になった。

例年の、学部長懇談会が開催された。ほぼ半分は新しい学部長になるからである。学部長会議開始時はすぐ会議に入れるよう、互いに自己紹介をおこなった。今年の課題は、学部長会議の時間短縮である。果たしてどうなるか?

◆4月2日(月)

2018年度が始まった。まずは、新任職員就任式で、ひとりひとりに辞令を交付した。

新任大学教員研修会場に移動し、3キャンパスそれぞれの代表者に辞令を交付し、講演をおこなった。世界と日本の変化の中で、私立大学が今後、どのような目標を持たねばならないのか、法政大学は何を価値としていくのか、を話した。その後の、廣瀬克哉常務理事兼副学長による、教育現場の実際の変化と、教員が陥りがちな状況の話は、たいへん面白かった。中座せざるを得なかったが、研修は午後まで続いた。

夕方からの新任大学教員懇親会では、外国人教師が増えたことを実感。大学は毎年、変わっていく。私が教員になった時代には研修もなければ懇親会もなく、大学全体を見回す機会がほとんどなかったと言ってもよい。先生方には、世界、日本、大学を俯瞰していただきたい。

さらに付属中高の新任教員就任式と辞令交付があり、懇親会をおこなった。一日で、新任教職員の就任関連行事が終了し、いよいよ新学期である。