5月

差別を超えて文化を取り戻す

2017年05月29日

5月

徳島市国府町芝原の「箱まわし」の調査に同行した。「箱まわし」とは箱をまわすのではなく、人形をまわす(舞わす)のである。人形は、文楽人形を思い浮かべていただけばよい。『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』(1690年)という江戸時代の書籍にその場面が見える。玄関らしきところに首から箱を提げた人がいて、その中に烏帽子をかぶった三番叟の人形が入っており、それを子供たちが見ている。題名には「えびすまわし」とある。さらにさかのぼって『江戸図屏風』(1624-45)では、店先で二人の人物が翁(おきな)媼(おうな)や男女の人形を動かしている。こちらは何らかの物語を見せているのかも知れない。つまり江戸時代から、あるいはそのもっと前からあった。ただし文楽人形のように三味線を合わせることはない。これらの絵には楽器が描かれていないので、声だけで唄いあるいは語っていたと思われる。

徳島は人形浄瑠璃が盛んで農村舞台が十か所ほどあり、そこでは文楽とほぼ同じ公演をおこなっている。しかし私が訪れた徳島の「阿波木偶(でこ)箱まわし保存会」は、劇場でおこなうのではなく、江戸時代の文献や屏風で見られるように、正月に「門付け(かどづけ)」をして歩くのである。門付けとは、一軒一軒の家を回ってその家の一年の安寧を祈願することだ。これを予祝(よでゅく)という。三番叟(さんばそう)人形による予祝は「三番叟まわし」と呼ばれる。三番叟とえびすの人形を使う。保存会では現在、二人の女性、中内正子さんと南公代さんが「三番叟まわし」と「箱まわし」を継承している。「箱まわし」の人形は、演目によってさまざまである。どちらも近代では江戸時代より人形が大きく、箱から出してまわす。中内さんが語りながら人形をまわし、南さんが合いの手を入れながらバチで鼓を叩く。1999年から弟子入りし、師匠が亡くなって2002年から本格的に担い、門付け先は増加して現在、千軒を超えているという。

地域衰退、少子高齢化と言われるような場所である。この数に私は驚いた。門付けも都市化とともに消滅するはずだった。門付け先の増加には理由があった。ひとつは、毎年お迎えしていた三番叟まわしの芸人がいなくなり、あきらめていたという事情である。継承者が現れて、再び迎えられるようになったのである。なぜ求められていたのに芸人はいなくなったのか? その理由は、三番叟まわしが、被差別部落において伝承されてきた伝統文化だからである。差別を経験してきた人々は、自らその芸能から離れ、あるいは自分の子供や家族にその芸能を継承させなかった。その、継承されなかった一人が辻本一英さんだ。辻本さんはある日、三番叟まわしの人形を持ち歩く昔の人の写真を見て驚いた。自分の祖母だったのだ。

辻本一英さんの書いた『阿波のでこまわし』(解放出版社)という本がある。そのなかで辻本さんは「経済至上主義や学歴社会を腹いっぱい飲み込んでいた私は、ムラの生活文化のいっさいにマイナスのレッテルを貼ってしまいました。部落に生まれて「恥ずかしい・つらい」とひきずっていた私を、「部落文化」の豊かさが救ってくれました」と書いている、高校教師として同和問題の啓発活動までしていた辻本さんは、長いあいだ、部落で継承されていた三番叟まわしやえびすまわしの価値を知らなかったという。「阿波木偶(でこ)箱まわし保存会」を創設したのは、この辻本さんである。そして部落で継承してきた最後の三番叟まわしに部落外の女性が弟子入りし、亡くなるまで師事した。

私はかつて『カムイ伝講義』の講義そのものと執筆を通じて、江戸時代の部落で継承されていた技術のすごさに目をみはった。芸能があることも知っていた。しかしじかに辻本さんの話をうかがい、中内さん南さんが門付する様子をDVDで拝見するまで、やはりそのちからに気付かなかった。そのちからとは、祈ることで幸福をもたらすちからである。

三番叟が舞い始めると、人形に手を合わせて懸命に祈る人々。えびす人形は、踊り終わると門付け先の方々の膝や手足など具合の悪いところをなでる。かつて人形は厄を引き受けるものであり、神に祈りを届けるものであり、自然のちからを人に移すものであり、祈りによって均衡を回復させるもの、つまり福を届けるものだった。世の中にそういう存在がなくなった時、私たちは何もかも物質的に解決するしかなくなった。

辻本さんは「部落差別は、すべての人びとに不利益をもたらします」と書いている。三味線、太鼓、藍染め、皮革、にかわ、茶筅、はきものなどのものづくり。祈りや願いを託すことで心を保つことのできる、さまざまな予祝の芸能。それらが、求められながら減少し、あるいは消滅してきた。差別によって文化がまるごと消えてしまうのである。2013年に公開された映画『ある精肉店のはなし』(纐纈あや監督)にも、消えゆく技術と文化が具体的に鮮明に描かれていた。

「阿波木偶(でこ)箱まわし保存会」では、三番叟まわし、箱まわしを舞台や学校や催し物で見せるとき、辻本さんが部落の文化であることを講演なさるという。隠さない。誇りに思う。継承する。そうすることで辻本さん自身が差別を乗り越え、また次の代にその誇りを伝えている。

私たちは差別と排除によって、大事なものを失う。得るのではなく、失うのである。