2017年度

9月

2017年度

9月30日(金)

マンハッタンの「日本クラブ」で、法政ミーティング in NYが開催された。「週刊NY生活」の創業者社長である久松茂さんがニューヨーク校友会の現会長というご縁から、今回の会ご案内も同紙で宣伝いただいた。ちなみに同校友会再興の祖ともいえる前会長の武末幸繁さんも、「さくら」というワシントンDCの日系フリーペーパーを発行されている。この「さくら」でも、今回、法政ミーティングの案内をして下さった。一昨年開催したベルギー(ブリュッセル)での法政ミーティングの時も、会を案内頂いた現地の日系フリーペーパー編集長が法政OGだった。国内でも国外でも法政は「地域メディア」に強い。

今回の法政ミーティングには、50名近くの卒業生とご家族あわせて約70名がご参加下さった。デュッセルドルフ、パリ、ロンドン同様に、30代40代の方々を中心に、既にニューヨークで暮らして半世紀近い大ベテランと、20歳前後の学生が数名ずつ、という構成である。そして、これもまた過去二回の法政ミーティングと同じく、女性の卒業生も、日本からともなった家族を伴われる例もあり、亡くなったご家族の代理として出席して下さったり、現地で結婚なさった連れ合い(夫)を伴われる例が見られた。やがては誰が卒業生で誰がご家族かわからないぐらい、自然に交じり合って、賑やかな語らいの場が生まれる。こういうチャンプルーな雰囲気は、法政に似合うなと思う。

ところで、会で披露いただいた武末さんのお話を通じて知ったことだが、ニューヨーク校友会の設立は1982年にさかのぼる。その年、当時の中村哲総長がニューヨークを訪れる機会があり、今回と同じ「日本クラブ」でNY在住卒業生がお会いしたのが始まりだとか。その場に同席しNY校友会の創設者となった加藤侑治さんも、今日お元気で参加されている。

最後に、平塚眞樹総長室長が終わりの挨拶をして下さったとき、戦前の野球部とアメリカの関わりについて、初めて聞く話を紹介してくれた。当時の野球部監督と学生の共同作業で、アメリカのイリノイ大学野球部監督の著した野球読本の翻訳を岩波書店から刊行したという素敵な話である。こういう歴史をもつ野球部と体育会であることを忘れずに、未来に繋げてほしい。

お帰りになるときの参加者やご家族の明るい顔をみながら、多くの皆さんがこの場に来てよかったと思われていることが伝わってきた。いつものように、丹念に会の準備をくださった卒業生後援会連携室の職員たち、会の開催にあたり、多大な援助を下さった校友会、NY校友会の皆様に、心から感謝したい。

9月28日(木)

朝から夜まで、運営会議、キャンパス再構築特設部会、学部長会議が開催された。

9月27日(水)

朝から夜まで、常務理事会、理事会、評議員会が続く。

9月26日(火)

付属校との学校長会議と、拡大学校長会議が開催された。

9月25日(月)

法政大学、明治大学、関西大学の三大学連携協力協定調印式がおこなわれた。東京駅前にあるビルの中には、関西の複数の大学の事務所が入っている。その中の関西大学のフロアで、記者会見、調印式、鼎談、記者たちとの懇親会をおこなった。とりわけ三大学総長・学長鼎談は、明治大学の土屋恵一郎学長、関西大学の芝井敬司学長のお人柄でとても楽しい時間になった。明治大学とはライバル関係の時代が続いていたが、能のプロデューサーである土屋学長と私は以前からの知り合いで、会うたびに楽しい時間を過ごす。この数年で協力関係を創り上げたい。
大学に戻って、外部監査法人からのヒアリングを受ける。

9月24日(日)

徳島県校友会総会が開催され、「自由を生き抜く実践知」について講演した。それに先立って、徳島新聞社主催の「女性クラブ」の講演をおこなった。このクラブは女性だけの団体で、大規模な講演会を開催している。そこで今回は「女性たちはどのように生きてきたか」というテーマで、江戸時代にさしかかったときの女性の変化や、江戸時代の女性たちの生き方、そして明治の女性の話をした。皆さんとても熱心に聞いて下さった。

9月22日(金)

大学ポートレート運営委員会に、大学基準協会の理事として出席。検索機能の強化、英文コンテンツなど、当初から求めてきたことがほぼ達成できた。アクセス数も上がってきている。今後はさらに多くの教員、生徒、保護者に使っていただきたい。ぜひ大学教職員も、使い勝手について意見を寄せてほしい。

サッカー部の優勝報告表敬訪問があった。総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで、35年ぶりに優勝したのだ。選手の皆さん、部長の石川教授、総監督の照井さん(職員)、そして長山監督、改めておめでとうございます。この数年で、皆さんの努力が、次々と実ってきました。

9月20日(水)

日本私立大学団体連合会(私立大学連盟と私立大学協会で構成されている)の代議員として、文教委員会関連の衆議院議員たちとの朝食会に出席。1975年の私立学校振興助成法の目的を勉強し直すという話や、高等教育無償化の方法など、さまざまな話をうかがったが、選挙態勢に入っているようで、しばらく活動は止まりそうな気配だ。
この後、大学に戻って常務理事会、常務理事会懇談会、予算編成委員会と続く。

9月18日(月)

札幌で、北海道新聞の道新フォーラム「現代への視点2017―歴史から学び、伝えるもの―」に登壇した。台風と重なったが、聴衆はたくさんいらして下さった。ノンフィクション作家の保阪正康氏、東大名誉教授の姜尚中氏とともに、3人で講演し、その後ディスカッションの時間となる。保阪さんは、昭和史を複眼的に見てその誤りに注目することが重要だと述べた。姜尚中さんは、現代社会がいま地方に注目しなければ日本全体が危うい、と述べた。少子高齢社会は、地方衰退によって加速し、深刻化するのである。私は、江戸時代が250年以上の平和を保ったことを述べ、しかし江戸時代は戦争は起きていないが差別、抑圧などの構造的暴力が存在する時代つまり「消極的平和」の時代である、というヨハン・ガルトゥングさんの言葉を伝えた。戦争がないばかりではなく、貧困、差別、環境破壊などの構造的暴力を乗り越えた「積極的平和」こそ必要なのである。

9月17日(日)

TBSの「サンデーモーニング」に出演した後、札幌に飛ぶ。まだ台風は来ていなかったが、次の日のフォーラムの時間に直撃となりそうだ。この日、朝刊を賑わせたのは解散総選挙である。フォーラムは北海道新聞社主催なので、夜の打ち合わせの時、社の方々があわただしく出入りしていた。解散総選挙の日程がいつになるか、できるだけ早くつかんで報道しなければならないようだ。私は、総選挙や北朝鮮より、核が拡散する世界に突入しかねないことが気になる。

9月16日(土)

9月卒業学位記交付式の日である。まだ日本人学生が大半を占めるので、日本語でおこなう。告辞では、温又柔さんの『真ん中の子どもたち』を取り上げ、ハンガリーの作家、アゴタ・クリストフのことをまじえて、ダイバーシティ宣言と「自由を生き抜く実践知」を覚えて卒業して欲しい、と述べた。まさに激変する社会に皆は入っていく。頼りは「読書」であることも伝えた。困った時には本を読もう。どこかに必ず突破口が記されている。

『大学新聞社』のインタビューがあった。インタビュアーは4人の女子高校生だった。自由に思うように話した。どういう編集になるか楽しみだ。

9月15日(金)

付属3校の校長と総長で構成する定例の学校長会議を開催したあと、学校長の中期経営計画ワークショップをおこなった。みな速く頭脳が動く。様々な課題に気づいた。このあと、FP(ファイナンシャル・プランナー)協会の会合で講演した。「激変する時代に必要な能力」という演題である。教えられたことを覚える能力から、自ら情報を獲得して思考する能力に、求められる能力は変わっている。法政大学の学生は、能動的な思考に優れている。その特質をさらに伸ばし、その範囲をさらに広げたい。

9月14日(木)

いよいよ中期経営計画ワークショップの日である。すでに各部局から出ている中期課題案の表を見ながら、教育現場から見て漏れがないかどうか、優先順位をどう考えるか、学部長たちに参加してもらうワークショップである。限られた時間の範囲で、短い言葉をもって考えを表明する。実に活発な議論になった。このあと、定例の学部長会議が開かれた。

9月13日(水)

午前中から夜まで、評価室報告、常務理事会、理事会、理事会懇談会と続く。

9月12日(火)

日本私立大学連盟の常務理事会、理事会があった。文科省の説明があった。東京23区にある大学の定員厳格化は、何を例外事項にすべきか、まだ決まっていないようだ。グローバル戦略では、留学生を増やすことと、東京の国際都市化が言われている。「人生100年時代構想会議」では社会人リカレント教育が必要だとされている。社会人教育は都心の大規模大学こそ効果的におこなえる。この矛盾、どうするつもりだろう。

9月11日(月)

2017年秋季入学式が開催された。英語コースへの57名の新入生が入学した。中国、台湾、韓国のみならず、ベトナム、マレーシア、メキシコ、インド、イラン、スウェーデンの学生がこれから法政大学で学ぶ。入学式は総長式辞から副学長、学部長挨拶に至るまですべて英語で実施。大学院生はもちろん、学部生も積極的に彼らをサポートし、日常的に話しかけてほしい。

フェンシング部の選手が今年、ドイツのライプツィヒでおこなわれた世界選手権(男子フルーレ個人)で銀メダルと銅メダルを獲得した。ユニバーシアード台北大会では、男子団体フルーレと女子団体サーブルで金メダルを獲ったという。そこで今日は、西藤俊哉選手と敷根崇裕選手が表敬訪問をして下さった。この二人、現時点でオリンピック代表の可能性がもっとも近いばかりでなく、メダルにもっとも近い選手たちである。

オリンピック・パラリンピックの東京2020有識者懇談会になかなか出られない。そこで、事前に説明と意見聴取に来て下さった。その後さらに、中期経営計画特設部会が開かれた。一日はなかなか終わらない。

9月9日(土)

横浜の寿町にしつらえたテント劇場で、3年に一度開催される現代アートの国際展である横浜トリエンナーレの「アウト・オブ・トリエンナーレ」企画の講演をおこなった。テーマは「江戸文化のからくり」である。たくさんの質問が出て活気ある講演会となった。主催は「水族館劇場」だ。この劇団のことは、4月18日の総長日誌に書いた。本学の大学院卒業生たちがかかわっている。この日は、その卒業生たちが特別SPとしてぴったり守りについてくれた。

横浜は私の生まれ育った故郷である。寿町は来る機会があまりなかったが、通っていた小学校はここからあまり遠くない。子供の頃から、港周辺のバラックに暮らす人々、川の船上生活者、そして寿町の労働者によって横浜港が支えられていることは知っていた。港湾労働者の子供たちも、友達だったのである。今の寿町はとてもきれいになったが、高齢化が進んでいる。講演には、小学校時代の友人3人が来てくれた。幼稚園の園長を長く務めている女性、中学校の校長を歴任してきた人、そして、横浜中央病院のもと院長である。この病院は寿町のすぐ近くにあって、寿町の多くの労働者が患者だったという。横浜で幼馴染たちに講演を聞いてもらったのは嬉しかった。

9月8日(金)

HOSEI2030関連の会議のあと、水泳部の表敬訪問があった。世界水泳選手権のシンクロで、河野みなみ選手が2つの銅メダルを獲得した。シンクロでも素晴らしい選手が法政大学にはいた。新しい発見だった。

9月7日(木)

いくつかの会議や打ち合わせ。その後、神奈川県伊勢原市の向上高等学校の生徒さん二人が総長室を訪問して下さった。「こゆるぎ」という新聞を出していて、県のコンクールや年間紙面審査に応募しているという。今回はオリンピックパラリンピックへの賛成、反対など様々な意見をまとめるとのこと。二人の女子高生は記者腕章もインタビューも本格的だった。なんと最後には、北朝鮮問題における日本、米国、韓国の姿勢をどう思うか、という質問を受けた。

9月6日(水)

打ち合わせ、予算編成委員会、常務理事会、2種類の常務理事会懇談会。その後、芥川賞候補となった温又柔さんとHOSEI ONLINEで対談した。温さんの作品『真ん中の子どもたち』は、台湾、日本、中国の複数の親や先祖をもった若者たちがアイデンティティを模索し続ける小説である。現代におけるダイバーシティ社会の象徴であろう。古代から今日に至るまで、日本には多くの「真ん中の人」がいて日本文化を担ってきた。今後はさらにそうなるだろう。

夜は丸の内の日本工業倶楽部で校友会執行部の方々と懇談会。総長理事体制が変わったときにおこなう懇談会である。きめ細かなコミュニケーションが大学の透明性を高める。いつも主催してくださる校友会に感謝したい。

9月4日(月)

総長杯ゴルフ大会の日である。スタート時には雨が降っていたが、少したって止む。昨年も同じだった。終わる直前にまた雨が降り出すが、しばらくして止む。すべて無事に終了。総長杯をお渡しすることができた。毎年のことながら、千葉県のキングフィールズゴルフクラブの経営者でOBの、鈴木康浩さんとスタッフの方々に心から感謝。186人の参加者を、万全の体制で迎えて下さった。全体を順調に運ぶために私を指導して下さった桑野秀光校友会会長にも、感謝の意を表したい。

9月1日(金)

全国大学生活協同組合連合会で「大学をとりまく危機とこれからの大学のありかた」という演題で講演した。大学生協は、1年のうちで学生のいない期間の長い大学という社会にとって、無くてはならない組織である。そもそも生協は通常の企業でも店舗でもなく、市民が自ら組合を作って安価で安全なものを共同購入し、自ら改善していく自主的な組織だ。組合員は単なる消費者ではなく構成メンバーである、という意味でたいへん市民社会らしい存在だと言えるだろう。大学生協はその大学版なので、組合員(多くの場合は教員から)理事長が選ばれ、組合員である学生とともに活動している。法政大学生協の佐野哲理事長は経営学部教授である。この数年で赤字を解消し、能動的な事業を展開してくれている。