2017年度

7月

2017年度

7月31日(月)

帰京して休む間もなく、総長室で朝から原稿執筆。夕方、来年おこなわれる咸宜園(かんぎえん)教育研究センターでの講演のことで、大分県日田市の職員の方が打ち合わせに来て下さった。豪雨災害から間もないことで、申し訳なく思う。日田市には江戸時代に広瀬淡窓(ひろせたんそう)がいて、咸宜園という私塾を開いていた。今年は咸宜園開塾200年の記念の年で、様々な催し物が開かれている。この講演は、サンデーモーニングの司会をされている関口宏さんの会社「三桂」からの呼びかけだった。
夜は、小金井の宮地楽器ホールで「七夕講演会」の主催者挨拶をおこなった。本学の理工学部が、ニュートリノ研究でノーベル賞を受賞した梶田隆章氏を講演者としてお迎えしたのである。この「七夕講演会」は全国同時開催で毎年おこなわれている。当日は満席。講演「ニュートリノで探る宇宙」は、極小のニュートリノが宇宙の成り立ちを知る手がかりとなる、という話で、壮大な時空を思い描いた。物質と反物質について考えたいことが生まれる。本学には高名な天文学者の岡村定矩教授がおられる。この日も司会をして下さった。

7月28日(金)~30日(日)

後援会沖縄県支部が創立20周年を迎えた。周年行事には総長が出かける。この夏は6つの周年行事がある。後援会行事に合わせ、校友会と後援会が協力し合って一般向きの講演と、高校生向きの講演を企画してくれた。合計3つの、内容の異なる講演をしたことになるが、とにかく、沖縄からの入学者を少しでも増やそうとする皆さんの熱意に打たれた。講義でもおこなっていた琉球の歴史や、調査に入った八重山の盆行事の知見もまじえ、大学が今後どう変わっていくか、お話しした。
後援会メンバーの方々は、練習を重ねて公演して下さった沖縄舞踏やダンスなど、驚愕の創造性を見せて下さった。すごい!

7月27日(木)

9月に北海道新聞の座談会が開催される。姜尚中さんと保坂正康さんと3人で語り合う。今日は新聞社だけでなく保坂さんも来て下さって、充実した打ち合わせができた。その後、法政大学出版局と打ち合わせをおこなった。夏休み中に『自由という広場』の続編ともいうべき著書にとりかかる。

7月26日(水)

朝の打ち合わせのあと、常務理事会と予算編成委員会を開催した。その後、ヨット部のメンバーに表彰状を渡したのだが、競技のことではない。練習中に、溺れる寸前だった子供と父親を救助したことに、総長から感謝の気持ちを表したかったのである。さらにその後、大学基準協会の会議があった。

7月25日(火)

午前中は研究所会議、研究総合本部会議。午後は小学館「Precious」の取材があった。30代向けの「Oggi」という雑誌から取材依頼があったが、こちらはアンケートへの回答で許していただいた。40代向けの「Precious」は、インタビューにいらした。「法政大学に女性ファッション誌の取材が入るなんて!」という驚きの現象らしい。
夜は上廣倫理財団の講演だった。「私の修業時代」というテーマで、ラジオ番組に収録された。

7月24日(月)

総長業務がオフの日は、田中優子として、たまった原稿を次々と書く日。とは言っても、総長としての講演準備もたまっている。

7月21日(金)~23日(日)

午前中に付属校校長たちとの学校長会議をおこない、伊豆半島の天城に出かける。IBMの天城ホームステッドで、国公私立の学長の有志が集まり、議論するのである。今年のテーマは「少子化を超えて――2040年の世界と大学」である。あまりに内容豊富で、全てを報告することができない。まず、日産自動車の取締役である志賀俊之氏の基調講演があった。要約すれば、これからの人にはAIに代替されない能力が必要で、それは考え、判断し、表現する能力であり、文系理系の知性を自らのなかで融合構成できる能力だ、ということである。2番目の基調講演者は私、田中優子だ。「江戸から見る2040年」というテーマで、欧米をモデルとした近代的な価値観ではなく、モデルの無い時代を、海外情報と独自なイノベーションで乗り切った江戸時代について話した。消える仕事、新しく生まれる仕事が増える「正解の無い時代」を生き抜く人々の能力を育成するには、いかなる教育が必要か。議論百出であった。

7月20日(木)

グローバル戦略本部会議、そして学部長会議の終了後、受賞表彰教員祝賀会が開催された。本学の教員は研究者あるいは創造者として数々の賞を獲得している。受賞した教員たちを大学が認識し顕彰することは、研究や作品と大学が連携し、本学教員、学生たちの誇りと意欲を生み出す上で大切なことだ。集まって下さった教員たちのスピーチが素晴らしい。面白くて、いつまでも聞いていたかった。

7月19日(水)

朝から、常務理事会打ち合わせ、常務理事会、常務理事会懇談会(法政ミュージアムについて)、HOSEI2030推進本部運営会議、と夜まで続く。

7月18日(火)

HOSEI ONLINEで三星マナミさんと対談。子役タレントとスキーヤーを子供のころから両立させ、法政大学最初の女子スキー部を作ったかただ。その後、プロスキーヤーに転向、今でも長野県野沢に暮らしながら、ママアスリートの応援組織を運営している。誰もやっていないことを次々に実現する、「フロントランナー」の鏡だ。実に爽快な対談だった。そのあとは私大連の常務理事会、理事会、グローバル戦略会議の打ち合わせが続いた。

7月15日(土)

集英社の開高健ノンフィクション賞の審査会が開催された。茂木健一郎さん、姜尚中さん、森達也さん、そして同僚の藤沢周さんと、いつものように熱い議論を戦わせる。発表はもう少し後になる。賞の審査の日まで、大部の4作品を熟読することになる。さまざまな原稿、月に何回もある講演資料の準備のあいだに、その時間を作る。連日複数の締切をかかえるスリリングな毎日だ。

7月14日(金)

外部企業の取締役会から総長室に帰り、「東京2020有識者懇談会」事務局の面談がある。出席できない日があり、その説明および意見のヒアリングにいらしてくださったのだ。丁寧に進められている。次いで博士課程の学生の指導をし、それから「法政学への招待」講義に行く。「法政学への招待」はオムニバスだが良い講義シリーズで、このコンテンツをもっと広く共有したいと思っている。DVDを教材にして基礎ゼミ教員が講義に使ったり、オンデマンドでの配信も良いかも知れない。

7月13日(木)

年間スケジュール上、重要な位置にある全学広報戦略会議、HOSEI2030推進本部会議が開催される。終わると同時に、サントリー美術館企画委員会に出かける。

7月12日(水)

朝から、常務理事会打ち合わせ、常務理事会、理事会、理事会懇談会2種。

7月11日(火)

法政大学エコ地域デザイン研究センターのシンポジウム「水都・江戸東京のグリーンインフラ」がスカイホールで開催され、「水都江戸の自然と文化」を講演した。エコ地域デザイン研究センターと国際日本学研究所は、連携して江戸東京研究をスタートさせたのだ。研究者たちの質が高く、日本でも希な江戸東京研究となり、法政大学の新しい柱になるだろう。

7月10日(月)

朝、仙台に移動。東北大学工学部の工学教育院トップリーダー特別講義で、「自由を生き抜く実践知」の講演をおこなった。工学系の学生が専門ばかりでなく広い教養を身につけることによって、人間的な成長をうながそうという企画で、主に大学院生を対象にしている。鋭い質問もあった。進学者は東北各県と関東北部から来ている。就職時にはそれぞれの地元に戻ることが多いという。この3日間でわかったことは、若者たちは東京に出たいとは思っていない、ということだ。できれば地元で進学して地元で就職したいと考えている。都心の大学としては多様な学生に来てほしいが、もっと重要なのは本当の意味での地方創生だ。

7月9日(日)

朝、空路で青森へ移動。今日は終日、後援会青森県支部総会・父母懇談会である。青森県支部は今年50周年を迎えた。校友会とともに公開講演会を開催して下さった。高校にも声をかけて下さり、高校生も参加してくれた。江戸時代はもちろんのこと、法政大学についても語り、高校生たちは「ぜひ入りたい」と思ってくれたようだ。後援会と校友会双方の青森県支部の皆さん、本当にありがとうございました。

7月8日(土)

早朝に空路で札幌へ。学校法人・北星学園が創立130年を迎え、大学における記念講演会に呼んで下さったのである。田村信一学長は法政大学と法政大学大学院修士課程の出身者だ。2014年に起こった理不尽で暴力的な北星学園大学攻撃では、北星学園はおとしめられるどころか、その毅然とした姿勢で評価を高くした。ミッション・スクールの力強さを感じた。やはり大学には筋の通った価値観が必要なのである。本学でも憲章を定めてよかった、と改めて思う。この日はグローバリゼーションと江戸時代の話をしたが、前半で法政大学について話し過ぎたので、「グローバリゼーションと法政大学で終わってしまうのではないか」とひやひやさせたらしい。そういうことはなく、江戸時代の話も充分にさせていただいた。鈴木剛副学長をまじえた食事会も楽しかった。卒業生の90%近くが道内に就職するという。「北海道は独立できます」という鈴木剛副学長の言葉が説得力をもつ。仕事さえあれば、本当は故郷を離れたくないのだろう。地方創生はそこから考えてなくてはならない。ところで、田村学長も私も、校友である渡辺京二と飯嶋和一の大ファンであることがわかった。いつか、田村学長をまじえ、それぞれのかたと座談会することを夢見ている。

7月6日(木)

ミサコ・ロックス!さんが来日。総長室を訪問して下さった。『落ちこぼれだった私がペラペラになれたすごい英語勉強法』という本を出版したそうで、売れているという。9月30日にニューヨークで開催予定の本学卒業生の集い(法政ミーティング)にも出席して下さるとのことで、打ち合わせをおこなった。

大学通信『卓越した大学』の取材があった。毎年、しっかり話を聞いて下さる。その後、学部長会議、HOSEI2030推進本部会議に向けての打ち合わせが続く。

7月5日(水)

常務理事会打ち合わせ、常務理事会、役員ミーティング、予算編成委員会。

7月4日(火)

アメリカ州立大学連合主催の全米日本研究セミナーが本学で開催された。アメリカの大学教員が、ご自身のもっているカリキュラムに、日本学を組み入れるための研修で、毎年本学を訪問して下さる。今年は講演を依頼され、英語で大学の紹介と、研究の一端を話した。それぞれの先生方がとても個性的だ。

私大連(日本私立大学連盟)の常務理事会に文科省職員がいらして、23区の大学の新設および定員増抑制について話された。ついで別の職員が専門職大学について話された。「専門職大学なら23区内に新設されても良いのですか?」という質問には「検討中です」との返事。23区の大学の新設および定員増抑制は、留学生増員計画、社会人リカレント教育方針、専門職大学構想、東京の国際化構想のいずれにも矛盾する。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会で、開会式・閉会式に関するメディアの前でのインタビュー、そして朝日新聞のインタビューが続く。メディアの前のインタビューでは、タレントの中川翔子さんとご一緒した。

7月3日(月)

「独立メディア塾」というサイトがある。朝日新聞取締役・テレビ朝日社長だった君和田正夫氏と関口宏氏が、視聴率を気にするテレビメディアや、購買者数を気にする新聞雑誌ではできないことをやろうと、4年にわたって運営しているサイトである。コラムや座談会で構成されている。本日は8月に連載する座談会に呼ばれ、「これから世界はどうなる」「若者はどう生きる」などをテーマにじっくり談論。3分ずつ小分けにして発信される。メディアへの規制はこれからさらに厳しいものになるだろう。スポンサーを持たない独立メディアが重要な役割を果たす。君和田氏は上智大学の新聞学科で兼任講師として文章指導をなさっておられる。法政大学のメディア社会学科がジャーナリストを育てることに、強い期待をもっているという。ジャーナリストは民主主義の要だ。法政大学は、そういう期待に応えられる大学をめざしたい。

7月1日(土)、2日(日)

神戸で私立大学連盟の学長会議が開催された。「大学教育におけるダイバーシティの実現に向けて」というテーマだ。私の役割は基調講演である。「大学に求められるダイバーシティ」という講演をおこなった。次いでシンポジウム。立教大学の国際経営学科長・尾崎俊哉氏がダイバーシティ・マネジメントを、筑波大学ダイバーシティ・アクセシビリティ・キャリアセンター長の五十嵐浩也氏が推進上の課題を、明治大学国際日本学部長の横田雅弘氏がヒューマンライブラリーの実践を、それぞれ話された。いずれも興味深かった。2日目にはグループに分かれての討議がおこなわれた。大学にはさまざまな「壁」があり、それは秩序を作る要でもある。しかし一方、それを守るだけでは大学の役目は果たせない。必要な壁は維持しつつ、それを乗り越えられる仕組みが大切で、それもダイバーシティ化作業のひとつであろう。