2017年度

5月

2017年度

5月30日(火)

私大連で会議があった。隣にいた立教大学の吉岡総長から、法科大学院から撤退する旨を告げられた。青山学院大学の撤退も決まった。本学はまだ撤退しない。

ラジオのFM FUJIに出演。宝塚で男役のトップをつとめ、2年前に退団した、凰稀かなめの「Let’s TALK!〜肝心KA・NA・MEのPhoenix〜!」という番組だ。歌舞伎が女たちで始まったことと、男たちの舞台になるまでを話した。宝塚の存在は江戸時代の歌舞伎に根拠がある。江戸時代の歌舞伎役者に吉澤あやめという人がいた。名女形で、日常生活も女で通した、という話をしたところ、凰稀かなめさんも男として暮らしたという。目の前にいるのは、愛嬌に満ちたとてもかわいらしい女性だ。不思議! 大学憲章「自由を生き抜く実践知」の「自由」について話しところ、ご自身の経験をもとに完璧に理解して下さった。とても楽しい会話になった。

5月29日(月)

わけあって徳島市に日帰りの旅をした。最初に徳島新聞に寄ったところ、校友からの挨拶を受けた。9月24日に校友会の催し物で徳島に行く。そのときに徳島新聞主催で講演をさせていただくのだ。この日体験したことについては、短い報告では言い表せないので、リンクのエッセイを読んでいただきたい。

5月26日(金)

夏休みには、全国各地で後援会父母懇談会が開催される。私は7月から8月にかけて東奔西走するが、それでもその全てには行かれない。そこで、行かれない会場で流していただくDVDを撮った。今年はおめにかかれない後援会の皆様、今後も学生の支援を、なにとぞよろしくお願いいたします。

5月25日(木)

日越大学学長がベトナムから来校。大学院に続いて、学部創設への協力を、というお話だった。本学は職員がJICAに出向してベトナムに滞在している。どのような協力ができるか、よくコミュニケーションをとっていきたい。

世界各国もちまわりで開催されている(★リンク調整中)Gender Summit 10が日本で開催された。本学も協賛している関係で、懇親会で挨拶をした。本学理工学部の物理学者、松尾由賀利教授が開催の中心のひとりであった。ジェンダーの問題は女性の活躍という課題だけでなく、社会におけるLGBTへの正しい理解、人権や尊厳の尊重をどう広めるか、男性の価値観をどう変えるかなど、多様な課題が浮上している。私は、男性をスタンダードな基準にしてきた社会を変えること、とりわけ「リーダーシップ」の考え方の変化が必要であることを話した。このサミットは、とりわけ女性科学者の活躍を目標としている。本学でも松尾教授に続き、女性たちにもっと理系に進学し研究を展開してほしい。

5月24日(水)

新たな理事会体制がスタートしてから初めての評議員会が開催された。大学の最高決議機関である。評議員の方々には企業経営者も多いが、大学とは何を目標に運営されているところなのか、何をもって健全とするのか、企業との違いをぜひ理解して、これからも決議に臨んでいただきたい。

5月23日(火)

大学基準協会の理事をつとめている。頻繁に会議があり、この日も開催された。文科省の大学設置基準の審査が、大学や学部を作るときの審査だとすると、基準協会は大学集団が連携し、相互に評価をおこない、基準に適合しているか不適合かを判断するのだ。大学が変化すれば、次々にそれに対応しなければならない。2019年度、専門学校機能をもった専門職大学の制度がスタートする。3年で卒業できる所も出てくるだろう。このような新しい学校が生まれるときには、いち早く評価体制を作ることになる。忙しい組織なのだ。

5月20日(土)

上野千鶴子さんが理事長を務めるWAN(Women’s Action Network)のシンポジウムが札幌で開催された。私はゲストとしてではなく、会員のひとりとして講演した。今回のテーマは「自分ゴトから始まる社会づくり」である。実はこのテーマ、私が社会学部教員たちと一緒に書いた『そろそろ「社会運動」の話をしよう』(2014年 明石書店)をもとにしている。上野さんはWANでこの本を使って、運動論を広げてきたのである。『そろそろ「社会運動」の話をしよう』は社会学部の講義「社会を変えるための実践論」をまとめたものだ。この日は、この講義と本の経緯をお話しするとともに、これが大学憲章「自由を生き抜く実践知」につながっていることもお話しした。

シンポジウムのメンバーは、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンの代表理事である鎌田華乃子さん、change.org広報担当の武村若葉さん、札幌学生ユニオンの下郷沙季さん、そして、公立はこだて未来大学を立ち上げの時から担ってきた美馬のゆりさんであった。コミュニティ・オーガナイザーのことは、『そろそろ「社会運動」の話をしよう』の湯浅誠さんとの対談でも、語られている。学生ユニオンのことは、仁平先生の文章で分かる。そしてchange.orgは、私の日常的な署名活動の基本になっている。公立はこだて未来大学のことは、前学長と天城学長会議で出会い、私のなかで、一度は訪問したい大学のひとつとなっていた。あらゆる意味で私はゲストではなく、この日は日帰りで、WANの運動に参加してきたのである。もっとこういう日があってもよい。

シンポジウムに先立って、『そろそろ「社会運動」の話をしよう』をテーマに、法政大学社会学部教授・荒井容子先生、島本美保子先生が参加しておこなわれたWANブックトークの様子

5月19日(金)

午後は文科省。前日の続きである。夜は法政大学財界人倶楽部に顔を出した。本学を卒業した経営者たちの集まりである。給付型の冠(かんむり)奨学金が増えてきたこと、それが経済的な課題を抱える学生の役に立っていることを話し、さらなる増加をお願いした。

5月18日(木)

ほぼ一日、文科省にいた。仕事の中身や立場は公にできないが、大学関係者は、国の様々な審査や審議に関わっているのである。知らないうちに国が教育方針や基準をどんどん決めてしまう、ということにならないためにも、大切な関与である。

夜は自民党本部にいた。こちらは、本学出身の議員やマスコミ関係者の情報交換の場で、定期的に開催されている。常に与党に対して訴えるテーマを持っていく。ただし法政大学という一法人の利益を目的にした訴えではない。教育機関もしくは私立大学全体の課題を訴える。今回は出たばかりの「地方創生に資する大学改革に向けた中間報告(案)」についてであった。都心の大学の定員抑制や削減を意図しているが、それは本当に地域の発展につながるのか? その問題を投げかけた。

5月16日(火)

日本経済新聞の取材があった。いくつかの大学の総長・学長にインタビューし、まとめるという。取材が多いことは発信につながる嬉しいことだが、どうまとめられるか気になる。

体育会の監督おひとりおひとりへ委嘱状をお渡しする委嘱式をおこなった。ほとんどの監督が本業を持っておられ、お忙しい中、学生たちの面倒をみて下さっている。総長は体育会の会長でもあるから、こちらからお願い申し上げ、正式に委嘱するものだと思う。

5月13日(土)

長岡市で校友会主催の一般公開講演会が開催された。「なんとか200名は集めたい」とご尽力下さった結果、当日は500名を上回るお客様たちが来場下さった。新潟県からは従来多くの学生が入学してくれている。さらに多くの学生が受験し、入学して下さるよう、願っている。

この日の午前中、校友で長岡副市長もやっていらした山崎さんと、小国を知り尽くしておられる高橋さんが、長岡市小国を案内して下さった。私の父方の祖父は上小国から東京に出た人だが、父が四歳の時に亡くなったので詳細がわからない。祖父は兄たちとともに東京に出て、油紙と医療機器の生産販売をおこなっていたという。父の姉、つまり伯母のひとりは小国に嫁入りした。小国は緑あふれる素晴らしいところだ。盆地であるにもかかわらず、渋海川に沿ってのびやかに田んぼが拡がっている。小国の校友たちは、さらに田中家のことを調べて下さっている。感謝。

講演のテーマは法政大学とグローバリゼーションと江戸時代のことだったが、小国のこと、父のこと、佐渡のこと、愛用している十日町の吉澤の着物や明石縮、そして『北越雪譜』のことなど、新潟県への思いをこめて語ることができた。

5月12日(金)

BSN新潟放送で、本学校友および評議員で、新潟放送代表取締役社長・竹石松次氏のインタビューによる、法政大学の紹介をおこなった。生放送である。思わず話しすぎて途中でコマーシャルになってしまった瞬間も。校友たちの経営するいくつもの会社がスポンサーについて下さった。校友の力を存分に感じた日であった。

5月2日(火)

日本ドリコムの取材があり、女子高生に向けてメッセージを発信した。女性と男性と価値観が大きく違うわけではないが、概して女性は社会的評価という「外のものさし」より、自らの関心と情熱という「内なるものさし」で道を選ぶ傾向がある。ぜひ情熱を傾けることのできる分野に進んで欲しい。

経済産業省「日本再考研究会」が開催された。若者や子供たちが置き去りにされている国の財政をどう再配分するかが、大きな焦点となった。この会議は政策そのものより、発想をどう転換するかを論じている。