2015年度

9月

2015年度

9月29日(火)

青山で、「時代にとらわれない風の人という新しい選択」というテーマの座談会が開催されました。『地域を変える「風の人」という新しい選択』という本の出版記念で、社会学部の藤代裕之先生のゼミ生による企画です。ローカル・ジャーナリストの田中輝美さんと私がゲストでした。「土の人」が、地元に生まれ育った人で、「風の人」は、外からやってきて地域を変えていく人です。「江戸時代にも風の人がいたのですね?」という問いを受けるのが私の役目。つまり総長としてではなく、江戸研究者としての出演です。確かに、江戸時代にはとても多くの職種が移動・漂泊していて、漂泊民が定住民の文化を変えていったのです。そして、鄙(ひな)で育った荻生徂徠は、江戸や地方都市にいる武士たちのダメなところを鋭く指摘しました。「風の人」、素敵な言葉ですね。

9月23日(水)

BS-TBSのテレビ番組「林修・世界の名著」の収録がありました。私は『樋口一葉いやだ!と云ふ』という樋口一葉論を刊行しています。そこで、『たけくらべ』を選びました。この作品の、見事な「相聞歌(そうもんか)構造」について話しました。それにしても、読めば読むほど、日本文学の伝統的方法を総動員して近代文学を作り出してしまった23歳の天才のすごさがわかります。日本文化を創ってきた女性の役割に改めて驚愕します。

白鴎大学副学長を務めておられる北山修さん(精神分析学者、精神科医)のシリーズ「北山修のアカデミック・シアター」に参加しました。渋谷公会堂がいっぱいになりました。落語家の桂文枝師匠が共演。テーマは落語分析でした。1970年に北山修が作詞した「戦争を知らない子供たち」が歌われました。この70年間に日本が積み上げてきた努力と、その中で大人になった戦争を知らない子供たちがもう最高齢で70歳になったことを、改めて考えていました。各局が放送自粛をおこなって当時はコンサートでしか聞けなかった「イムジン河」は、朝鮮戦争と半島の分裂を歌った歌です。戦争を知らない子供たちは、いつも戦争を意識し憂えてきました。なぜその果てが今日の日本なのでしょうか?

9月21日(月)

鎌倉の建長寺に、『中国と茶碗と日本と』(小学館)の著者である彭丹(ほう・たん)さんを訪ねました。彭丹さんは本学の国際日本学インスティテュートで博士号を取得した卒業生で、このたび日本文化研究への功績が認められて永住権を獲得したのです。そのお祝いと、建長寺管長および総長に「今後とも彭丹をよろしく」のご挨拶をするためです。現在、社会学部で文学の講義を受け持っています。じつに美しい日本語を書く女性です。建長寺でも開祖の蘭渓道隆の語録の講義をしており、昨年は彼女の努力で、蘭渓道隆が生まれた地を初めて特定できたそうです。

9月19日(土)

9月卒業の学位授与式でした。明け方に安保関連法が参議院を通過し、「日本が大きく変わる日」だという思いを抱きながら、この日は、3月の学位授与式でも話した学徒出陣のことを、改めて話しました。3月のときと違って、たとえ今は自衛隊のみの問題だとしても、自衛官を含む日本人の参戦は現実的な課題になりました。その現実に大学はどう向き合うのか。ひとりの市民として考えつづけると同時に、政府と一緒になって学生を戦場に送り出した歴史をもつ「総長」という立場についても、考え続けねばなりません。単に反対を唱えるだけでなく、これからの社会と大学についての、総合的なビジョンが必要です。

法科大学院の司法試験合格者祝賀会がありました。今年は多くの合格者を出し、明るい活気に満ちていました。しかし法科大学院とは何か、本当に望ましい制度はいかなるものなのか、それをも広い問題として考え続けなくてはなりません。

9月17日(木)

豪徳寺にある編集工学研究の催し物「三味三昧」に列席しました。松岡正剛プロデュースの会で、約3ヶ月に1回、本條秀太郎とその社中がやって来るのです。本條秀太郎は三味線、長唄、小唄、端唄の演奏をするだけでなく、地方の民謡や端唄を収集する研究者であり、民族音楽として三味線音楽を総合的に捉え、作曲や編曲もするまったく新しいタイプの邦楽演奏家です。この日は松岡正剛作詞の新しい唄も披露されました。松岡正剛は、私の世代であれば一度は聞いたことのある「比叡おろし」の作詞・作曲家でもあります。
いつもこの会では、着物コーディネイターの江木良彦氏が、松岡さんと本條さんのコーディネイトと着付けをしています。私は資生堂の仕事で江木良彦の着付けを体験して以来、日本で最高の着付け師だと思っています。
日本文化の新しい創造は、深く静かにささやかに、こういうところでおこなわれているのです。
また7月7日に紹介したように、編集工学研究所「イシス編集学校」のインターネット授業の方法に長らく注目しています。思考力、判断力、表現力の基本を自ら身につける方法をもっているからです。個人で入るネット上の学校ですが、単位認定を前提に導入している大学もあります。

9月14日(月)

今日は秋期入学式の日です。GIS(グローバル教養学部)の入学式が、少人数のアットホームな雰囲気で行われました。
4月の入学式の日にマララ・ユフスザイさんの話をしました。今日はその続きとして、マララ基金が7月に、レバノン東部にシリア難民のための女学校を作ったことを話しました。すでに30万人以上のシリア難民がヨーロッパに入っていることを、新入生の皆さんはご存じだと思いますので、それより10倍以上の人々がシリア周辺諸国に難民として暮らしていることを述べるとともに、学校はその時代の市民が必要としているからこそ作られることを話し、法政大学設立当時のことを想像していただきました。
来年からは複数の研究科と合わせて入学式を執り行います。しだいに秋入学者も増えていくことでしょう。告辞が年2回になります。うまく「続き物」にできるでしょうか。

毎日新聞の取材がありました。こちらは、3月におこなった学位授与式の告辞の内容を知った記者が、戦後の環境問題の背景にあった日本の状況について、聞きにいらしたのです。

英国校友会の集まりがあるそうで、ビデオメッセージをお送りしました。一年間オックスフォードにいましたから、とてもなつかしいです。また訪英する機会があると嬉しいですが、総長の仕事はまず大学を守ることですので、就任中、個人旅行はあり得ません。

9月12日(土)

6月4日の総長日誌で書いた『天空の蜂』が、全国で封切られました。この映画の堤幸彦監督は本学、社会学部社会学科の出身で、現在は通信教育部で地理学を学んでおられます。主題歌を作り歌っているのは、法政二高と経営学部経営学科出身の秦基博さんです。
この映画で、3.11を思い出して下さい。原発の再稼働がなされましたが、それでよいのかどうか考えて下さい。安全保障関連法案が成立した場合、日本および日本人への(後藤健二さんの事件のような)テロが懸念されています。この映画はそれについても、考える機会になるでしょう。

日本女子大で「日本医療社会福祉学会大会」があり、基調講演として「江戸から見ると―生活と養生―」を、話してきました。貝原益軒の『養生訓』も取り上げましたが、その中にはこういうくだりがあります。「養生をせず薬と針灸を使って病気を攻撃して直そうとするのは、国を治めるために徳を用いないで、軍事力を使うことと同じだ。百度戦って百度勝っても意味はない」(現代語訳)。徳とは、倫理的理想を実現していく能力と、その行動、表現、感化力のことです。

9月11日(金)

静岡で、静岡日経懇話会主催の講演がありました。「グローバリゼーションと江戸時代」を話して来ました。大国への追従やその手足になることではなく、日本にはさまざまな意味でグローバリゼーションへの「独自の対応」が可能なはずです。

9月10日(木)

ミサコ・ロックスさんが、ニューヨークにお帰りになる帰国の途で、総長室を訪問して下さいました。「法政のためには何でもします!」という、私と同じ志をもってくださっているかたです。日本側のマネージャーである生島隆さんも、大学のためにさまざまな発信をして下さっています。留学とは何か、そこで何が見えてくるのか、活躍の場はすでに全世界にある、そのことをこれからも多くの方に伝えていただきたいです。

9月7日(月)

千葉県の「キングフィールズゴルフクラブ」で、校友会主催の総長杯・オール法政ゴルフ大会が開催されました。昨年は地方での講演があって、総長杯を渡しに行かれませんでしたが、今年は無事、優勝者に杯を渡しました。
千葉県はこの日、大雨、雷、突風が予報されていたにもかかわらず、ゴルフ場は朝、少し降っただけであとはまったく降らず、陽が出ることもありました。そして全員がプレーを終わり、屋内で杯を渡す懇親会が開催されると同時に、降り始めました。奇跡のようでした。

校友会の桑野秀光会長、キングフィールズゴルフクラブ代表取締役の鈴木康浩様および社員の方々には、心より感謝いたします。180名を超す参加者のマネージメントを円滑にすすめてくださり、事故もなく皆さんが楽しんで一日を過ごすことができました。
諸方面から集まって下さった校友の方々、スポーツを「見る」だけでなく、「おこなう」ことを通じて健康的にコミュニケーションする場を共有して下さって、ありがとうございます。この開かれた空気のもと、これからも大学のさまざまな課題やありかたを、よりオープンに意見交換していきましょう。

9月5日(土)

立ちっぱなしの収録でちょっと疲れています。一日休みが欲しいな、という日ですが、今日は応援団90周年記念式典です。休むわけにいきません。午後から式典、夜は約800人の方々が集まる大パーティでした。
応援団は校歌の成立に尽力してくれただけでなく、その後もたくさんの応援歌を創ってきました。とりわけ法政大学のチアリーダーは、日本のチアリーダーの先駆けでした。
法政大学の浅井直湖さんが、在学中、日本人で初めてアメリカのチアリーディングを学び、グランドトロフィを取り、チアリーダーのパイオニアとなったのです。リーダー部、チアリーディング部、そして吹奏楽部によって応援団が構成されています。90年にわたって独特な応援団様式を創ってきたのです。

ドイツやスイスにも遠征に行っています。海外の皆さんは「日本の伝統」と捉えておられるようです。確かに、学ラン、アクション、音、リズムの組み合わせはすべて近代のものですので決して古典とは言えませんが、もはや伝統となりました。しかも、漫画でカリカチュアライズできるほどの明確な様式です。もともとはエリートの空気を相対化するために生まれた蛮カラ(ハイカラの対立項)でしたが、その機能を失った今でも、なぜスタイルは変わらないのか? そういう好奇心が芽生えてしまいました。

9月3日(木)、4日(金)

夏はJMOOCの準備に追われていたことを先月書きましたが、それは、この3、4の両日、スタジオにこもって24回分の講義を収録し終わらねばならないからでした。そのために、約7万字におよぶスクリプトと、約220点の、文字を含む図版を用意しました。その多くの図版は使用許可が必要で、大学の教育支援課は急ピッチで許可申請をしてくれました。
私は講義でかなり多くの図版を使ってきましたが、教室内では許可申請は必要なかったのです。JMOOCは受講者から受講料を取らない仕組みですが、それでも、インターネットに流す場合は許可が必要になります。
使えない図版、許可をいただけない図版、所蔵元がわからなくなっている図版などもあり、すべて思うようにはいきませんでしたが、なんとか無事終了しました。JMOOC制作関係の方々、ありがとうございました。