2015年度

1月

2015年度

1月30日(土)

公認会計士合格者祝賀会が開催されました。公認会計士は、いわば資本主義社会のお金に関する見張り番ですね。「会計監査」など、企業や組織の「信用」につながる重要な仕事をするからです。ぜひ法政大学の卒業生らしい、社会の公正さを守る公認会計士になって下さい。女性合格者が増えてきたことも嬉しいです。

1月29日(金)

大学と大学院のパンフレットのために、写真撮影をおこない、巻頭言を書きました。2016年度には様々なことが変わりますので、新たな気持ちで臨みました。

1月28日(木)

卒業生へのメッセージをDVD録画しました。学位授与式の2ヶ月も前です。この時期なりのお話をしましたが、あと2ヶ月のあいだで、卒業する皆さんへ語りたいことが変わるかも知れません。学位授与式での告辞とDVDや広報誌「法政」誌上での話が異なるのは、この、時期のずれのせいです。

第三十七回観世寿夫記念法政大学能楽賞・第二十五回催花賞贈呈式がおこなわれました。
観世流太鼓方の小寺佐七氏、大倉流小鼓方の大倉源次郎氏に観世寿夫記念能楽賞を贈りました。催花賞はチェコの「なごみ狂言会チェコ」という団体に贈りました。チェコ語で狂言を広めてきた団体で、ヒーブル・オンジェイさんが賞状を受け取って下さいました。チェコでは1週間に1回は、どこかで狂言が上演されているそうです。能狂言も国際化していますが、それは能楽界の方々が世界中で能狂言を公演し、またワークショップに尽力して下さっているからです。能楽研究所は世界でも希な研究所です。このような賞を通して能楽界との結びつきを強くし、さらに研究と能楽をともに世界に拡げていこうとしています。

1月26日(火)

芝法人会の新春特別講演会で、アジアをどう考えるか、についての講演をさせていただきました。日本は少子高齢化していますが、アジアは人口が増えています。数十年後にはアジア地域の人口が世界でもっとも多くなります。アジア諸国と連携しながら、さまざまな問題を解決していかねばなりません。その意味では、企業も大学も同じです。経営者という同じ立場で、アジアとの共存を考えたいと思いました。

1月23日(土)

校友会の「新年を祝う会」が開催されました。毎年、新年におこなわれる会で、多くの卒業生たちが集います。私も校友ですが、年々増えていく校友たちが大学の輪郭をささえてくれています。法政大学の校友会は、とても透明性の高い健全な組織です。まだ終身会員になっておられない方は、ぜひ法政大学卒業生のコミュニティに入って下さい。
私からは、2030年に向けてこれから法政大学がどの方向に向かっていくのかを、お話ししました。

大学基準協会の学長セミナー「今、学長が成すべきことは何か――改めて大学改革を考える――」に出席しました。台湾の義守大学名誉学長である傅勝利博士と、基準協会会長で筑波大学学長の永田恭介氏の講演があり、そして私が「大学に必要な改革とは何か」という講演をおこないました。その後パネルディスカッションもあり、大学改革の中での学長として何を考えているか、会場の質問もまじえて活発な討論になりました。今後の大学は世界や社会の変化と不可分です。私自身が常に勉強し情報収集することで、改革の火を絶やさないようにしなければなりません。

1月19日(火)

重篤であった学生が昨日亡くなった、という知らせを受けました。これで13名の大学生が亡くなり、本学は4名になりました。彼らがもっていた未来の時間を考えると、毎日、なんともやりきれない思いです。このことを受けて、再度、メッセージを出しました。

本学ボクシング部出身で、世界チャンピオンになった木村悠さんが訪問して下さいました。どれほど厳しい自己コントロールが必要かを知りました。精神的にとてもタフな卒業生たちが、本学を支えてくれています。

1月18日(月)

本学の野球部OB、山中正竹氏が野球殿堂入りをしました。在学4年間で残した記録、通算48勝は、東京六大学リーグの最多勝記録です。法政大学野球の監督としても、オリンピックチームのコーチや監督としても、輝かしい成果を上げたかたです。野球部100周年に、良い記念を加えて下さいました。

1月17日(日)

横浜の紅葉坂にある神奈川県立図書館で講演をしました。『「持続可能な社会」としての江戸』というテーマで4回シリーズですが、その中の2回は法政大学、つまり私とデザイン工学部の陣内秀信教授です。法政大学のミッション「持続可能な地球社会の構築」を外に発信する良い機会でした。この冒頭でも、図書館の方からお悔やみの言葉をいただきました。ありがとうございました。
私はこの図書館のすぐ近くの本町小学校の出身者です。30代前半まで横浜に暮らしたので、子供のころから数え切れないほど通った図書館です。そこで講演できるのは、とてもなつかしく嬉しかったです。

1月16日(土)

野球部が百周年を迎え、今まで支えて下さった方々に感謝する記念式典と、学外の方々もまじえた壮大な懇親会が開催されました。百年間を積み上げて下さった選手たち、監督、コーチ、部長、そして野球部OBの方々に、心よりお礼申し上げます。野球部は法政大学の名をもっとも高めてくれた部であるばかりでなく、野球史上に残る優れた選手たちが、法政大学野球部の出身です。
しかし、お祝いの席ではありますが、心は晴れませんでした。重篤な学生が心配でなりません。そこで懇親会での挨拶の冒頭に、全員の方々に一緒に黙祷をしていただきました。冥福を祈るとともに、多くの方々の祈りで、少しでも回復してもらいたかったのです。野球部関係の皆様、心のこもった祈りを、本当にありがとうございました。
入試日を除いて、外濠校舎6階展示スペースでは「法政野球100年」の展示をおこなっています。ぜひその素晴らしい歴史を見て下さい。

1月15日(金)

ご存じのように、この日の未明、軽井沢町でスキーバスの事故が起こり、3名の本学学生が亡くなりました。大学役員はすぐに危機対策本部会議を開き、午後には、当該学部長、ゼミ担当教員、職員たちが長野に入りました。なんとも辛い一日でした。次の日にはメッセージを出しました。学生も教職員も試験やレポートに集中しなければならない時期です。マスコミが大学に入ってくるようになりましたが、みなさんは自分自身のことに集中して下さい。

1月14日(木)

宮中の歌会始に出席しました。中継をしていたようです。天皇の御製「戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ」はペリリュー島を詠んだと解説されますが、私の脳裏には、多くの人が亡くなった沖縄や日本列島の、海に浮かぶ緑の島が浮かびました。

1月12日(火)

ベトナムのカントー大学副学長Le Viet Dung博士が訪問して下さいました。私が1991年、初めてNHKの取材班と一緒にベトナムに行った時、メコン川をフェリーで渡ってカントーを訪問し、カントー農業大学(現在のカントー大学のカレッジのひとつ)の教授にお話しを伺い、農村にも入りました。忘れられない思い出です。法政大学はカントー大学と提携を結び、カントー大学の学生の留学も決まっています。
これからこのように、多くの留学生が法政大学に学び、皆さんと一緒に勉強します。日本語ができない学生が入ってきますが、ぜひ積極的に英語や様々な言葉で 話しかけて下さい。必ず、社会に出たときに役立ちます。

1月9日(土)

保護者の組織である後援会のオール法政賀詞交換会。大学の新年はいつもこの行事で始まります。この日は理事、副学長、学部長、職員管理職など、多くの大学スタッフも集まり、文字通り、大学の新年が始まります。保護者の皆さん、実り多い学生生活のためにご尽力下さって、ほんとうにありがとうございます。