法政大学のミッション

ミッション1

本学の使命は、建学以来培われてきた「自由と進歩」の精神と公正な判断力をもって、主体的、自立的かつ創造的に、新しい時代を構築する市民を育てることである。

ミッション2

本学の使命は、学問の自由に基づき、真理の探究と「進取の気象」によって、学術の発展に寄与することである。

ミッション3

本学の使命は、激動する21世紀の多様な課題を解決し、「持続可能な地球社会の構築」に貢献することである。

法政大学の歴史とミッション

法政大学の歴史は、1880(明治13)年4月に設立された「東京法学社」に始まった。この年は、憲政史上に重要な地位を占める国会期成同盟が結成され、国会開設上願書が太政官に提出されるなど、自由民権運動の全国的な高揚期に当たっていた。法制史上でも、近代的法制の整備が緒につきはじめた年であった。
東京法学社は、このような時代背景の中で、代言業務と法学教育の必要に応えるため、フランス法学の流れをくむ、いずれも20代であった金丸鉄(1852-1909)、伊藤修(1855-1920)、薩埵(さつた)正邦(1856-1897)らの法律家によって、東京神田・駿河台北甲賀町に設立された。薩埵が、法典編纂のため日本政府に招かれていたフランス人の司法省法学校教師ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ドュ・フォンタラビー(ボアソナード博士)から直接の指導を受けていたことから、博士は東京法学社から東京法学校が分離独立したときに教頭に就任し、12年間にわたり、無報酬で本学の基礎固めに精魂を傾けた。そのことから、法政大学はフランス自然法的な近代法の基本理念をもち続け、それが「自由と進歩」の学風をつくりあげたのである。
1890(明治23)年1月には「校外生」制度が開設された。講義録による法律学の通信教育である。これは大きな反響を呼び、第3期生を募集する1893(明治26)年頃には学生数が8,000人を超えるほどであった。校外生制度はその後も続き、戦後の1947(昭和22)年には、日本で最初の大学通信教育課程が、通信教育部として開設されたのである。
1903(明治36)年の専門学校令の公布に伴い、法政大学と校名を改めた。この時に総理(現在の総長)に就任したのが、梅謙次郎博士であった。
このように、法政大学の基盤は、万民の自由と権利を理想とする法学であった。
1904(明治37)年には清国留学生法政速成科が開設された。清国からの留学生は、自らの国の未来を真剣に考えるために留学することで法学や政治学を学び、卒業生たちは帰国後、新しい中国建設に尽力した。その歴史的評価にはさまざまな視野からの議論が必要だが、法政大学の「国際交流」の源の一つは、ここにある。
1920(大正9)年、法政大学は大学令(旧制)による認可を受け、総合大学として新たなスタートを切り、法学部法律学科・政治学科、経済学部経済学科・商業学科、大学予科および各学部研究科が設けられた。予科には野上豊一郎、森田米松(草平)、安倍能成、内田栄造(百閒)ら、夏目漱石門下の逸材が名を連ねた。翌1922(大正11)年には、法学部を法文学部に改組し、文学科と哲学科が新たに加えられた。
1931(昭和6)年1月には、佐藤春夫の詞による校歌が制定された。校歌にある「よき師よき友つどひ結べり」「進取の気象、質実の風」「青年日本の代表者」という言葉は、当時の法政大学の特徴を言い表しており、その後、受け継がれて行く。法政大学航空研究会(後の航空部)「青年日本号」による訪欧飛行の成功は、これらの言葉の象徴的な出来事であった。
しかし、1943(昭和18)年以降、学徒出陣によって、陸海軍合わせて約10万の学徒兵が戦地に赴くことになった。出陣した法大生は約3,500人、約600人の戦没がここまでに確認できた。「学徒出陣五十年」の年である1993(平成5)年、阿利莫二総長は、かつての大学が出陣学徒を歓呼の声で送り出したことについて反省する共同声明を発表するよう全国私立大学の学長・総長に働きかけ、同年、全国270校の全国私立大学の学長・総長は、「有為の若人たちを過酷な運命にゆだねるほかなかったことに、深い胸の痛みを覚える」とする共同声明を発表した。
戦後、大内兵衞総長が就任した翌年の1951(昭和26)年に法政大学は学校法人となった。この発展期を支えた大内が指針として与えた言葉として、「独立自由な人格」を作ることと「空理を語らず、日本人の社会生活の向上発展のために、たとえ一石一木でも必ず加えるような有用な人物」を作ること、が残されている。
1960年代以降、法政大学は他大学とともに、その存在理由を問われることとなった。その時代を担った中村哲総長は、学生自治の重要性を明言した上で、むしろそれが空洞化していく状況を憂い、暴力による学内の腐敗に立ち向かった。また大学に対するさまざまな規制の中で本学が発展するために、全学移転を視野に入れ、多摩キャンパスの開発が行われ、二学部が移転を決断した。
二学部の多摩移転によって、法政大学は校地、学部数、学生数、教員数の拡大が可能になり、2000年前後から清成忠男総長のもとで、積極的な教学改革が実施され、本学は、戦後長く続いた6学部から現在では15学部を擁する大学へと発展した。
これらの歴史を振り返ってみると、その基礎には「自由」「独立」「進取」「国際的な姿勢」そして「社会の公正さへの強い意識」があり、個人の問題だけでなく、社会に対して開かれた思想が一貫していたということができる。しかし同時に、1960年代に提起された学生の急増による教育研究体制の課題は根本的には解決されず、主体的な学びや、自ら考える市民の育成が、必ずしも意識的組織的になされてきたとはいえない。学生数、学部数の増加が、ブランドイメージの拡散や、本学らしい特徴の希薄化を生み出した面もあったのである。

法政大学は、現在は学生生徒等の学納金に支えられている大規模大学である。少子高齢化に向かう今日、単に学生数という「量の問題」に固執するのであれば、質への道は見いだせない。一方、政府からの助成は基盤的経費助成から競争的助成に比重を移しつつあるが、大学運営上、その競争的傾向を視野に入れないわけにはいかない。しかしながら、その施策に乗り続けるだけでは、法政大学の特徴は失われる。いまわれわれは教育の質を確保しつつ、本学独自の道を創造する必要に迫られている。
そこで法政大学は、次の時代のためにミッションを見直し、それに沿った改革のためにビジョンを制定することとした。以下に、ミッションの意図を述べる。

ミッション1について

法政大学には、長い歴史を経て受け継いできた精神がある。それが「自由と進歩」だ。この精神は、どれほど時代が変化しようと価値を失わない。なぜなら、常に「現在」を問い直し、困難な時代状況のなかであきらめずに新しい社会を構築するには、なによりも個々の人間あるいは組織が、時代の大きな力から自由であらねばならないからだ。
新しい時代を構築するのは、主体的かつ自立的に自らの力でものごとを考え、多様な立場に立って公正な判断を行うことができる人であり、その上で新たな価値を創造できる人である。このような姿勢をもち、理想を実践することのできる知性を身に付けた者が、真の意味での「市民」である。
「市民」には歴史上、さまざまな意味が付与されてきた。しかしここでは、国家を超えて地域社会および世界の多様な人々を視野に入れることのできる人、私的な利害あるいは消費への関心だけでなく、社会と自分との関係を見据えることのできる人、そこに自らの役割を創造できる人を「市民」と定義している。21世紀の社会は何より、その意味における市民の力を必要としている。
法政大学は、世界のどこにおいても自由を生き抜こうとする市民を育てる大学である。そのためには、能動的に学ぶことができる教育環境が必須であり、法政大学はそのような教育環境の整備に尽力する。
それぞれの専門的な教育は、この基盤とともに身に付けることではじめて生かされる。専門のみに精通して市民としての判断力を持たないことは、かえって社会に対する害となる。人間としての格と視野の広さと専門的知識・技能がともに備わることで、「人格なき学識」「人間性なき科学」に陥ることなく、生きることが可能になる。

ミッション2について

研究においては、「進取の気象」がなくてはならない。研究は今や日本社会を超え、世界各国と結び付きながら世界の課題を解決する段階に来ている。未来を見通し、真理を探究する基礎研究の基盤を確保しながら、世界の課題の解決に資する実践知に基づく研究を、大学は支援する。
真に最先端の研究とは目先の利益を目的とする研究ではなく、世界が抱える課題を解決しようとする研究であり、社会の諸組織とともに時代を先取りし、未来を切り開いていく研究である。法政大学が掲げる「進取の気象」は、研究への姿勢においてこそ発揮される。

ミッション3について

「自由と進歩」を常に念頭に置いた教育と、「進取の気象」で取り組む研究がめざすものは、「持続可能な地球社会の構築」である。
地球社会の持続のためには、人間社会が変わらなければならない。まず、自然現象や生態系のさらなる研究と解明が必要である。同時に思想や価値観の転換が求められる。そのためには、人文科学、社会科学、自然科学が、どれひとつ欠けることなく一層連携した、総合的な知が必要とされる。生態学的な生物多様性、生態学的に物質循環を考慮したエネルギー政策、国や地域を超える新しい価値観の創出、コミュニティの再構築、地域における文化の多様性を重視することなどが、持続可能な地球社会の構築につながるのである。
自然、社会、文化の持続可能性は、世界の教育・研究がともにめざすべきものであり、法政大学はその一翼を担うことで地球社会に貢献する。