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Vol.99 東京法学社開校の趣旨と 薩埵正邦の尽力 薩埵正邦没後120年

2017年09月26日

本学の創立者・薩埵正邦

本学の創立者・薩埵正邦

本学の歴史は、1880(明治13)年に3人の無名の若者が中心となって設立した「東京法学社」から始まりました。そのマニフェストともいえる開校の趣旨が、当時の法律専門誌『法律雑誌』に掲載されています。3人の若者とは、『法律雑誌』を創刊した出版社「時習社」の社主・金丸鉄、代言人(弁護士)の伊藤修、そして司法省(法務省に相当)に勤務していた薩埵正邦(さったまさくに)です。

開校の趣旨は、教員の中で最も若い薩埵が開校式で述べたものとされ、「今日ハ既ニ法律世界ニシテ、腕力世界にアラザルナリ」「同胞兄弟ト共ニ法律ヲ研究シ、以テ法学ノ普及ニ至リ」とあります。法律の研究と普及により、「腕力世界」から「法律世界」へ転換していく日本の文明の発展に寄与する、という意気軒昂たる精神がうかがえます。

薩埵は1856(安政3)年に京都で生まれました。15歳から京都仏学校でフランス語を学び、東京に赴任すると共にフランス人教師と共に1875(明治8)年に上京。住み込みの学僕として勉学を続け、推薦を得て入った内務省で、ボアソナードの知己を得ます。その後司法省に移り、東京法学社の設立前後には、民法編さんの業務にも携わっていました。

東京法学社が設立された1880年には、開校の趣旨にも「今改正刑法、創定治罪法ノ如キ大部ノ法典陸続トシテ頒布アルノ時」とあるように、刑法(旧刑法)と治罪法(刑事訴訟法)が公布されています。
また、自由民権運動が全国的に高まり、国会開設上願書が提出されるなど、近代的な法制度を求める声が高まっていました。

そうした時代背景の中で設立された多くの法律教育機関が、私塾の域を出ずに消えていった中で、東京法学社(1881年に東京法学校と改称)が「五大法律学校」へと発展できたのは、薩埵の尽力によるものといえます。
 
1901(明治34)年の卒業式で、当時の富井政章校長が「創立者ノ薩埵君ハ主幹ト云フ名義デ一切ノ校務ヲ執ラレマシテ」と述べているとおり、薩埵は教えるかたわら、教員の招へいから生徒の募集、資金調達までを取り仕切っていたようです。
 
2007年竣工の外濠校舎のホールは、「薩埵ホール」と名付けられました。薩埵の名と共に、創立以来の「進取の気象」も受け継がれていきます。

取材協力:法政大学史センター

(初出:広報誌『法政』2017年度6.7月号)

「東京法学社開校ノ趣旨」を掲載した『法律雑誌』第133号(明治13年9月18日刊行)

「東京法学社開校ノ趣旨」を掲載した『法律雑誌』第133号(明治13年9月18日刊行)

外濠校舎6・7階にある870人収容の薩埵ホー ル。授業や学生の発表の場として、また学内外のシンポジウムやイベントでも利用されている (「2016年9月卒業法政大学学位記交付式」の様子)

外濠校舎6・7階にある870人収容の薩埵ホー ル。授業や学生の発表の場として、また学内外のシンポジウムやイベントでも利用されている (「2016年9月卒業法政大学学位記交付式」の様子)