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Vol.57 沖縄文化研究所40年の歩み

2012年11月29日

沖縄返還の翌1973(昭和48)年に『沖縄文化研究』の第1号(写真右)が創刊され、最新の第38号まで毎年発行されている

沖縄返還の翌1973(昭和48)年に『沖縄文化研究』の第1号(写真右)が創刊され、最新の第38号まで毎年発行されている

目を大きく見開き、邪悪なものの侵入を阻むシーサー。法政大学沖縄文化研究所には、沖縄随一の名工・島常賀氏が手掛けた一対の素焼シーサーが設置されています。これは同研究所の創設を記念して校友会(当時)沖縄支部から贈呈されたものです。

沖縄文化研究所は、沖縄が日本に返還された1972(昭和47)年7月、当時の中村哲総長を所長に迎え設立されました。その契機は英文学者の中野好夫が私費を投じ主宰していた沖縄資料センターの資料を無償で本学に移管したことにあります。同センターは1960年代、米軍占領下の沖縄の実情を調査するために設けられたものですが、本学での研究所設立にあたり、学術機関としての役割が強化されたのです。

創設以来、同研究所では沖縄諸島の久米島、久高島、渡名喜島、八重山諸島の総合調査を行い、多彩な報告書や研究成果を発表。その内容は高く評価され、沖縄戦で消失した集落の調査報告書『失われた集落・小湾―聞き書きによる復元』は沖縄タイムス賞や風土研究賞などを受賞しました。さらに所員や研究員による言語、歴史、民俗など多岐にわたる研究論文を収録した『沖縄文化研究』は、創設翌年から現在に至るまで毎年発行。消滅の危機に瀕している琉球語を詳細に記述した言語調査報告書『琉球の方言』も1975(昭和50)年以来ずっと定期刊行物として発行されています。 

(左)独特の書体で書かれた看板は初代所長を務めた中村哲元総長の手によるもの。中村は書のほか、絵画などでも才能を発揮した(右)沖縄県知事を務めた太田氏や稲嶺氏の意見が聞ける貴重なシンポジウム。誰でも無料で参加できる

(左)独特の書体で書かれた看板は初代所長を務めた中村哲元総長の手によるもの。中村は書のほか、絵画などでも才能を発揮した(右)沖縄県知事を務めた太田氏や稲嶺氏の意見が聞ける貴重なシンポジウム。誰でも無料で参加できる

沖縄研究者を招いての講演会や研究会も適宜催しており、今年11月25日には沖縄の本土復帰40周年を記念したシンポジウムを開催。沖縄の過去だけでなく現在と未来、さらには日本全体の問題に焦点を当てる有意義な場となることが期待されています。

琉球語には日本古来からの言葉「やまとことば」をひもとく上で、重要な要素が含まれると考えられています。沖縄を研究することは日本全体に目を向け、日本そのものを知ることにつながります。そうした観点からも沖縄研究の拠点である同研究所が本学にある意義は大きいと言えます。この重要な研究の歩みを同研究所のシンボル・シーサーは今後も見守り続けてくれるでしょう。

(左・中)研究室を見守るシーサーの台座に使用されているのは沖縄産出のトラバーチン(石灰質の沈殿岩)。沖縄県民「しまんちゅ」にとって赤瓦屋根にシーサーを載せることはあこがれだった(右)シーサー作りの第一人者、島常賀氏。陶器の町として名高い那覇市壺屋が輩出した名工

(左・中)研究室を見守るシーサーの台座に使用されているのは沖縄産出のトラバーチン(石灰質の沈殿岩)。沖縄県民「しまんちゅ」にとって赤瓦屋根にシーサーを載せることはあこがれだった(右)シーサー作りの第一人者、島常賀氏。陶器の町として名高い那覇市壺屋が輩出した名工