2012年度

Vol.52 岩倉具視所蔵のウェブスター英語大辞典

2012年08月23日

2012年度

本学の多摩図書館は、アメリカで編纂された1865年増補改訂版・二巻本の「ウェブスター英語大辞典」を収蔵しています。

この書物が貴重である理由は、第一に、明治時代の日本で英語を学ぶ人の多くが、大辞典、小・中辞典などの類書を含めた「ウェブスター辞書」を使っていたことが挙げられます。また明治期の辞書編さんの模範として、ほぼすべての英和辞書はもちろん、1889(明治22)年に大槻文彦が編さんした近代的な国語辞書『言海』にも影響を与えました。

第二の理由は、第一巻の表紙裏に明治維新の立役者・岩倉具視(1825~1883)の銘が英文で入っている点です。「日本天皇特命全権大使 正二位 岩倉具視」と書かれた銘から推測すると、1872(明治5)年、岩倉使節団が米国滞在中に岩倉個人または使節団が購入したもの、もしくは出版社などから贈られたものではないかと思われます。

同書が本学所有となった背景には、本学の教授を務めていた岩倉具視の曾孫・岩倉具栄(1904~1978)の存在があります。

ウェブスター英語大辞典の第一巻表紙裏には「日本天皇特命全権大使 正二位 岩倉具視」の英文ラベルが貼られている。日本に入ってきた同辞書の大辞典としては比較的初期のものと考えられる

ウェブスター英語大辞典の第一巻表紙裏には「日本天皇特命全権大使 正二位 岩倉具視」の英文ラベルが貼られている。日本に入ってきた同辞書の大辞典としては比較的初期のものと考えられる

具栄は1904(明治37)年、岩倉具張公爵の長男として誕生します。1914(大正3)年、父の具張の隠居により、具栄はわずか10歳で公爵の爵位を継ぎます。学習院初等科を卒業後、東京府立第一中学、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に入学。受験勉強の際、帝大の入試対策で英文学叢書を読んだことがきっかけで、英文学に関心を抱くようになったと言われています。1934(昭和9)年には貴族院議員に任命されましたが、戦後の華族世襲財産法の廃止によって、自活の道を探ることを余儀なくされます。そのとき、新天地となったのが本学でした。

黒い革張りで金箔の型押しがされた豪華な造り。書物の天地と小口には肉筆でアメリカ国旗と剣が描かれている。ほとんど使用された形跡がなく、丁重に保管されていたことがうかがえる

黒い革張りで金箔の型押しがされた豪華な造り。書物の天地と小口には肉筆でアメリカ国旗と剣が描かれている。ほとんど使用された形跡がなく、丁重に保管されていたことがうかがえる

当時、法政大学総長だった野上豊一郎の助力を得て法政大学予科の講師となり、1948(昭和23)年には同教授に就任。その翌年に岩倉家秘蔵のウェブスター英語大辞典が本学に寄贈されました。

具栄は、自身が研究していたイギリスの小説家D・H・ローレンスの作品などをテキストに英語の講義をすることが何よりも喜ばしかったようで、講義のある日は朝早く起きて予習し、朝食をすませると大急ぎで学校へ出かけたと伝えられています。故・岩永博本学名誉教授によると、具栄は「意欲と純粋さに溢れる学生たちとの接触に非常に意欲を燃やし、その小説講読の授業は学生たちから大変歓迎されていた」(※)とのことです。

1969(昭和44)年に本学の定年退職を迎えた後も、国士舘大学や大東文化大学の教壇に立ち、その半生を大学での研究と教育にささげました。

  • 出典:「岩倉具栄とその時代」(「岩倉具栄とその時代刊行会」編)
本学総長を務めた谷川徹三を中心に撮影された教職員の集い。前列の右から2人目が岩倉具栄氏(写真提供/岩倉具忠氏)

本学総長を務めた谷川徹三を中心に撮影された教職員の集い。前列の右から2人目が岩倉具栄氏(写真提供/岩倉具忠氏)

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