2012年度

Vol.48 法政大学 多摩キャンパス図書館 所蔵『野球読本』と法政大学野球部 第一期黄金時代

2012年05月24日

2012年度

『野球読本』と法政大学野球部 第一期黄金時代

東京六大学野球において歴代最多の43回の優勝実績を持つ本学野球部。初優勝は1930(昭和5)年、創部16年目のことでした。

初優勝の翌年、野球部は米国に遠征を行いました。遠征中に、チームは現地の大学野球部やセミプロチームと試合を行ったり、メジャーリーグの試合を観戦後、野球の神様と呼ばれたベーブ・ルースとの対面を果たすなど、数多くの貴重な経験を得ました。その中での重要な経験のひとつとして、イリノイ大学野球部のカール・エル・ラングレン監督との出会いがあります。野球部監督であった藤田信男はさらなるレベルアップを目指し、良い指導書はないかと探していたところ、ラングレンが書き綴った一冊のテキストブックを授かりました。それはイリノイ大学野球部の夏季講習に使用されたもので、技術的な解説だけでなく試合の戦術に関わる部分まで網羅していました。その内容に感銘を受けた藤田は帰国後、部員の協力のもとテキストブックを翻訳・編集し、『野球読本』として岩波書店より出版(1950、1953年に法政大学出版局より再版)すると同時に部員全員にも配布。以後、野球の本場アメリカ仕込みのセオリーは、長きにわたり法政野球の根幹を成すこととなったのです。

1930(昭和5)年、東京六大学野球初優勝時。翌々年にも2度目の優勝を果たし、昭和初期における黄金時代の幕開けとなった

1930(昭和5)年、東京六大学野球初優勝時。翌々年にも2度目の優勝を果たし、昭和初期における黄金時代の幕開けとなった

本学で所蔵している『野球読本』には、米国遠征に参加したメンバー全員の直筆サインが記されています。その中の一人に、野球部の第一期黄金時代を支えた若林忠志の名前があります。若林はハワイ生まれの日系二世で、当時の日本の野球ではあまり見られなかった多彩な変化球を駆使、「七色の変化球」と呼ばれた投球術で、東京六大学野球歴代4位の43勝を記録するとともに、在学中には野球部を3度の優勝に導きました。プロ入り後も阪神、毎日などのチームで活躍し通算237勝を上げ、本学出身者では初の野球殿堂入りを果たしました。若林以外にも、守備の名手として名をはせた苅田久徳、現役引退後にセ・リーグ初代審判部長を務めた島秀之助といった、同じく野球殿堂入りを果たした人物の名前を見ることができます。

2012年1月、『法政大学スポーツ展《法政野球》』と題して、野球部に焦点を当てた企画展を、本学市ケ谷キャンパスのボアソナード・タワー14階「博物館展示室」にて開催しました。『野球読本』のほか、本学野球部に関わる書籍、写真、関連用品など多数展示し、多くの方の関心を集めました。

『野球読本』の表紙。「カール・エル・ラングレン著、藤田信男訳」と英語で記されている

『野球読本』の表紙。「カール・エル・ラングレン著、藤田信男訳」と英語で記されている

  • 『野球読本』にはイラストや部員がモデルとなった写真が数多く使われている。投手編は若林がモデルを務めた

  • 巻末の余白4ページにわたり、米国遠征参加メンバー21人の直筆サインが見られる。メンバーの中から3人が野球殿堂入りしたことを考えると、まさに黄金時代であったと言える

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