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Vol.39 法政大学国際日本学研究所所蔵資料 鍬形蕙齋(くわがた・けいさい)「日本名所の絵」

2012年03月01日

鍬形蕙齋(くわがた・けいさい)「日本名所の絵」

江戸周辺を拡大したもの。手前は房総半島、左端に富士山と伊豆半島。武蔵、相模、上総など主な地名は枠付きで記し、カタカナまじりで地名などが書き込まれている。

江戸周辺を拡大したもの。手前は房総半島、左端に富士山と伊豆半島。武蔵、相模、上総など主な地名は枠付きで記し、カタカナまじりで地名などが書き込まれている。

取材協力:小林ふみ子文学部准教授

飛行機から撮影したかのような日本列島の鳥瞰図。北海道南端の松前半島から九州、さらに対馬列島や屋久島、種子島を描き、水平線上に朝鮮半島が浮かぶ彩色摺版画は、江戸時代中期の絵師・鍬形蕙齋の「日本名所の絵」です。
これは、本学国際日本学研究所が、2011年度より文部科学省戦略的研究基盤形成支援事業および科学研究費補助金の資金を得て取り組んでいる〈日本意識〉研究の一環として入手した資料の一つ。
鍬形蕙齋(1764?-1824)は、江戸に町人の子として生まれ、10代半ばで浮世絵師・北尾重政に師事して北尾政美(まさよし)と名乗りました。重政の門人には戯作者・山東京伝として知られる北尾政演(まさのぶ)、窪俊満(くぼしゅんまん)がいました。『江都名所図会』や黄表紙の挿絵などで人気を集めた政美は、1794(寛政6)年、津山藩(岡山)松平家のお抱え絵師に取り立てられ、その少し前から画号を蕙齋とします。その後、狩野派本流木挽町狩野家に入門して伝統的な画法を学び、姓を鍬形、号を紹真(つぐさね)と改めました。1803(享和3)年に江戸市中を高空から鳥瞰した「江戸名所の絵」を刊行、西洋画的な遠近法を意識した描写が評判を呼びます。「日本名所の絵」は刊行年が不明ですが、「江戸名所の絵」と同じ落款「江戸鍬形蕙齋紹真」があることから、「江戸~」前後の制作ともいわれます。
ところで、蕙齋と同時代に活躍した浮世絵師がかの葛飾北斎ですが、代表作『北斎漫画』は、実は蕙齋が人々の姿や動植物、衣食住などをスケッチ風に描いた『略画式』の影響を受けているといわれています。本作も北斎を刺激したようで、北斎も後にやはりいくつかの鳥瞰図を制作しています。
このようにいわば北斎に真似をされた蕙齋ですが、その作風は大きく異なります。軽妙洒脱ですっきりと洗練された蕙齋に対して、個性が強く細部にまで凝り尽くす北斎。好みは自ずと分かれ、いつの頃か「蕙齋好きの北斎嫌い」などという言葉もあるそうです。

「日本名所の絵」(41.9×56.9cm)。江戸城よりも蕙齋の雇い主の居城・津山城のほうが大きく描かれているのがおもしろい。津山藩出仕後も蕙齋は江戸に住み、津山に行ったのは、参勤交代に同行した1度だけだったという。

「日本名所の絵」(41.9×56.9cm)。江戸城よりも蕙齋の雇い主の居城・津山城のほうが大きく描かれているのがおもしろい。津山藩出仕後も蕙齋は江戸に住み、津山に行ったのは、参勤交代に同行した1度だけだったという。