2011年度

Vol.37 法政大学図書館所蔵資料 石川雅望作『しみのすみか物語』の校正本

2012年02月16日

2011年度

石川雅望(いしかわ・まさもち、1753〜1830)は、江戸時代後期の国学者で、狂歌師・宿屋飯盛(やどやのめしもり)として広く知られます。『しみのすみか物語』は、雅望の数ある著作のうち、文化2(1805)年に刊行された上下2巻に54の小話を収めた笑話集です。『噺本大系』(東京堂出版・全20巻)にも翻刻が収録されている『しみのすみか物語』は、本学図書館に版本(刊本)が所蔵されていますが、このほど、その「校正本」がコレクションに加わりました。
校正とは、本や雑誌などをつくるとき、活字化したページを試し刷りし、著者や編集者が文字の誤りを正したり変更を加えたりして体裁を整える大事な作業です。木版印刷の『しみのすみか物語』校正本は、完成品と同じ形に表紙がつけられ、上下巻きちんと製本されており、本文ページの欄外には著者の雅望による朱書きの校正が見られます。版元はこの校正本にしたがって木版を修正して出版するわけですが、校正本がこのようにきれいな状態で残っているのは極めて珍しいことです。校正本そのものは何冊もあるものではなく、校正を終えてしまえば破棄されるのが校正本の運命だからです。その意味でもこの校正本は大変に貴重な資料ということができます。
『しみのすみか物語』は、その序によれば、江戸小伝馬町の旅宿に生まれ育った(狂名の由来はここにある)雅望が、投宿した旅人たちから聞いたこっけいな話をもとに書いた小話を収録したもの。はじめ試みに漢文で書きかけたものをしばらく放っておくうちに、紙を食い荒らす紙魚(しみ)がはびこって汚れていたことから、「しみのすみか」と題しました。
『しみのすみか物語』の特徴は、江戸小話が、宇治拾遺物語の体裁や文体をまねて雅文体で書かれていること。古典研究にも秀でた雅望ならではの作で、平安時代風のみやびやかな言葉で笑い話が書かれているところが、この物語の面白さとなっています。

きちんと製本された校正本。表紙の題名表記が上下巻で異なることは江戸時代の本ではよくある。

きちんと製本された校正本。表紙の題名表記が上下巻で異なることは江戸時代の本ではよくある。

校正本の欄外に朱で書かれた校正(左)と、その部分が修正された版本の同ページ。校正本は板木に墨がまだよくなじんでいないため、版本よりも刷りが薄くなっている。校正本では挿絵(さしえ)が入っていなかったり、前書きなどの順序が版本と違っていたりする。

校正本の欄外に朱で書かれた校正(左)と、その部分が修正された版本の同ページ。校正本は板木に墨がまだよくなじんでいないため、版本よりも刷りが薄くなっている。校正本では挿絵(さしえ)が入っていなかったり、前書きなどの順序が版本と違っていたりする。

校正した文字のうえに、修正文字を書いた紙片を貼り付けたページ。校正の内容を見ていくと、この校正本が最初の校正ではなく、何度目かの校正である可能性も考えられるという。

校正した文字のうえに、修正文字を書いた紙片を貼り付けたページ。校正の内容を見ていくと、この校正本が最初の校正ではなく、何度目かの校正である可能性も考えられるという。

雅望が「六樹園」の号で仏教行事の「練供養(ねりくよう)」を題材に詠んだの扇面(せんめん。小林准教授個人蔵)。校正本の朱文字と同筆であり、本人が校正していることがわかる。

雅望が「六樹園」の号で仏教行事の「練供養(ねりくよう)」を題材に詠んだの扇面(せんめん。小林准教授個人蔵)。校正本の朱文字と同筆であり、本人が校正していることがわかる。

雲が描かれた平安絵巻風の挿絵が随所に入っている。この絵の話は、男が加茂祭りで売っている横笛に指を入れたら抜けなくなってしまい、仕方ないので買って帰る途中のこと。竹垣の向こうから妙なる琴の音が聞こえてくる。すき間からのぞくと4、5人の女が談笑しているので心ひかれて見ていると、今度は首が抜けなくなってしまった。人がやってきてとがめるので、仕方ないから「この竹垣を売ってくれ」——という落とし話。横笛から指が抜けないまま竹垣をのぞく男の姿がこっけい。

雲が描かれた平安絵巻風の挿絵が随所に入っている。この絵の話は、男が加茂祭りで売っている横笛に指を入れたら抜けなくなってしまい、仕方ないので買って帰る途中のこと。竹垣の向こうから妙なる琴の音が聞こえてくる。すき間からのぞくと4、5人の女が談笑しているので心ひかれて見ていると、今度は首が抜けなくなってしまった。人がやってきてとがめるので、仕方ないから「この竹垣を売ってくれ」——という落とし話。横笛から指が抜けないまま竹垣をのぞく男の姿がこっけい。

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