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Vol.30 法政大学図書館 所蔵資料 メダルを通してみる戦前の課外活動

2011年12月15日

メダルを通してみる戦前の課外活動

1918(大正7)年の大学令により、本学はそれまでの和仏法律学校法政大学から法政大学と名称を改め、総合大学(旧制)としての歩みを始めました。このころから昭和初期にかけてスポーツ関係をはじめ多くのサークルがつくられ、課外活動が盛んになっていきます。そのきっかけとなったのが、当時の法政スポーツの不振などによる法政大学の人気低迷でした。この状況を打開するため、「ここで法政精神を皆でつくっていこう」という機運が学生の間で高まります。新校舎建設など市ケ谷キャンパスの整備もそれに拍車をかけ、文化、スポーツの両面から法政大学を世の中にアピールするため、新しいサークルが次々につくられていきました。

弁論部関係のメダル4点。(1)書物を持ったギリシャ風の男性をモチーフに、裏に「HOSEI 擬国会弁論部」と記されたメダル。弁論部が模擬国会を開催した際の記念メダルと思われる。(2)1932年5月20日開催「全国中等学校懸賞雄弁大会」。松明と星の絵柄の丸メダル。(3)1933年10月21日開催「全国大学高専雄弁大会」。若者の下に「雄弁」を意味するELOQUENCEの文字を配している。 (4)1934年開催「全国大学高専弁論大会」。法政旗に「前進!」の文字をあしらった勇ましいデザイン。

弁論部関係のメダル4点。(1)書物を持ったギリシャ風の男性をモチーフに、裏に「HOSEI 擬国会弁論部」と記されたメダル。弁論部が模擬国会を開催した際の記念メダルと思われる。(2)1932年5月20日開催「全国中等学校懸賞雄弁大会」。松明と星の絵柄の丸メダル。(3)1933年10月21日開催「全国大学高専雄弁大会」。若者の下に「雄弁」を意味するELOQUENCEの文字を配している。 (4)1934年開催「全国大学高専弁論大会」。法政旗に「前進!」の文字をあしらった勇ましいデザイン。

前列の3点は学友会剣道部主催の剣道大会のメダル。左から、第11回大会(1932年6月26日開催。竹刀の鍔(つば)をかたどったメダル)。第13回大会(1934年6月17日開催。大鎧の面頬(めんぼう)をデザインしたもの)。第10回大会(1931年6月14日開催。竜虎をあしらった刀の鍔のデザイン)。第10回大会は剣道部50周年で都下の大学・専門学校を招待し、参加52校、150余名の選手が参加する盛況ぶりだったという(法政大学体育会剣道部『60年の歩み』より)。 後列一番左の2点は1933年6月4日開催の第10回大運動会のメダル。色の濃いほうは銀製。運動会は例年神宮外苑競技場で行われていたが、それまで運動会が一般学生の関心を呼ばなかったことから、この回からボクシング、剣道の野試合、パン食い競争、樽ころがし、鱒つかみ、金魚釣りなどが余興として行われた(法政大学新聞昭和8年5月22日第33号より)。 VICTORYの文字が見える2点は第9回陸上大運動会のもので、赤茶色のほうは銅メダル。その右、銃を持つ若者をデザインしたメダルは1932年に行われた学部射撃大会のもの。一番右は、1934年開催の第11回陸上大運動会のメダル。

前列の3点は学友会剣道部主催の剣道大会のメダル。左から、第11回大会(1932年6月26日開催。竹刀の鍔(つば)をかたどったメダル)。第13回大会(1934年6月17日開催。大鎧の面頬(めんぼう)をデザインしたもの)。第10回大会(1931年6月14日開催。竜虎をあしらった刀の鍔のデザイン)。第10回大会は剣道部50周年で都下の大学・専門学校を招待し、参加52校、150余名の選手が参加する盛況ぶりだったという(法政大学体育会剣道部『60年の歩み』より)。 後列一番左の2点は1933年6月4日開催の第10回大運動会のメダル。色の濃いほうは銀製。運動会は例年神宮外苑競技場で行われていたが、それまで運動会が一般学生の関心を呼ばなかったことから、この回からボクシング、剣道の野試合、パン食い競争、樽ころがし、鱒つかみ、金魚釣りなどが余興として行われた(法政大学新聞昭和8年5月22日第33号より)。 VICTORYの文字が見える2点は第9回陸上大運動会のもので、赤茶色のほうは銅メダル。その右、銃を持つ若者をデザインしたメダルは1932年に行われた学部射撃大会のもの。一番右は、1934年開催の第11回陸上大運動会のメダル。

1936(昭和11)年開催の第12回法政大学対関西大学庭球定期戦の銀製メダル。関西大学はボアソナードの教えをうけた法律家たちが1886(明治19)年に設立した関西法律学校が前身。そのつながりか本学との交流が盛んで、弁論部やスポーツ各部では定期的に交流試合が行われていた。テニス部の定期戦は1925(大正14)年に第1回が行われている。

1936(昭和11)年開催の第12回法政大学対関西大学庭球定期戦の銀製メダル。関西大学はボアソナードの教えをうけた法律家たちが1886(明治19)年に設立した関西法律学校が前身。そのつながりか本学との交流が盛んで、弁論部やスポーツ各部では定期的に交流試合が行われていた。テニス部の定期戦は1925(大正14)年に第1回が行われている。

当時のそうした課外活動の様子をうかがい知ることのできる資料のひとつが、本学図書館所蔵のメダルです。弁論部、剣道部、テニス部のほか、学友会主催の運動会、予科のメダルなどがみられますが、中でも1888(明治21)年創部の弁論部は、定期的に他大学・専門学校を招いた弁論大会や旧制中学校の弁論大会を開催する一方、夏休みには若者への啓発と法政大学のPRを兼ねて全国を遊説するなどの活動を行っていました。
法政大学新聞によれば、昭和10年前後の弁論部の年間予算がおよそ1200円のとき、全国中等学校懸賞雄弁大会、地方遊説にそれぞれ120〜130円ほどかけていたといい、いかに力を入れていたかがわかります。
剣道部など他の団体の中にも、夏休みを利用して大学PRを兼ねて全国を回っていたところがあったようです。
こうした学生たちの活動に触発され、あるいは憧れて、全国から数多くの若者が法政大学に集まってきました。学生による大学PR活動がすでに戦前から行われていたことは、注目すべきでしょう。

法政大学予科の軍事教練関連と思われるメダル(1931[昭和6]年)。右のメダルは銀製。

法政大学予科の軍事教練関連と思われるメダル(1931[昭和6]年)。右のメダルは銀製。

弁論部の模擬国会の様子(1926年度卒業アルバムより)。

弁論部の模擬国会の様子(1926年度卒業アルバムより)。

陸上大運動会のスナップ(1931年度卒業アルバムより)。

陸上大運動会のスナップ(1931年度卒業アルバムより)。