2011年度

Vol.24 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡 アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡と市ケ谷キャンパス

2011年10月27日

2011年度

市ケ谷キャンパスの南門から靖国神社方面へ続く富士見坂を上り、80年館裏門にさしかかると、道路側に向いて銘板をはめ込んだ石碑があります。80年館が開館した1981(昭和56)年3月に本学が建てたもので、この地が英国人外交官アーネスト・サトウ(1843〜1929)ゆかりの屋敷跡であることがサトウの功績とともに銘記されています。
『一外交官の見た明治維新』などの著書で知られ、親日家・日本研究家でもあるサトウは、1862(文久2)年に英国駐日公使館の通訳(当初は見習い)として来日し、幕末から明治維新の動乱期にオールコック、パークス両公使を補佐しました。1884(明治17)年にいったん日本を離れますが、1895(明治28)年に駐日公使として帰任、1900(明治33)年まで滞在しました。
サトウは日本にいる間に武田兼(たけだ・かね)との間に二男一女をもうけます。正式な結婚ではありませんでしたが、サトウは家族のため、1884年に麹町区富士見町4丁目6番地(当時)の旧旗本屋敷を購入しました。後年、サトウの次男で日本山岳会設立や尾瀬の保護に努めるなど日本を代表する植物学者として優れた業績を残した武田久吉(1883〜1972)がここに住みました。本学がこの武田邸を購入したのは1976(昭和51)年でした。

アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡の銘板。碑文は当時の中村哲総長(なかむら・あきら、在任1968〜1983)の筆による。土地の由来とともにサトウの著書『外交慣行入門』が東西外交官の指針とされていること、日本研究数十編におよび欧州における日本学研究の先覚者であることなど、彼の功績を讃える文が銘記されている。

アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡の銘板。碑文は当時の中村哲総長(なかむら・あきら、在任1968〜1983)の筆による。土地の由来とともにサトウの著書『外交慣行入門』が東西外交官の指針とされていること、日本研究数十編におよび欧州における日本学研究の先覚者であることなど、彼の功績を讃える文が銘記されている。

ところで、市ケ谷キャンパスは1918(大正7)年に購入した麹町区富士見町4丁目12番・13番(当時)の校地に始まります。およそ1660坪の敷地は、現キャンパスの半分にも満たない広さでした。当時、本学は和仏法律学校法政大学と称し、校舎は現白百合学園の向かいにあり、九段上校舎と呼ばれていました。1918年の大学令により旧制の法政大学として発足した本学は、21年、新しい市ケ谷キャンパスに校舎を建設して全面的に移転します。九段上校舎はしばらく分校として使った後、23年に売却されました。
1936(昭和11)年、現・外濠校舎付近の官有地1100坪余りを大蔵省より払い受けます。戦時中には空襲で校舎の大半を焼失した本学でしたが、戦後、速やかに大学復興に取り組み、新制大学としてスタートした翌1950(昭和25)年から数度にわたり、現・ボアソナード・タワー、55・58年館などの校地を購入していきます。これと前後して、現市ヶ谷田町校舎、法科大学院棟などの校地を購入しますが、市ヶ谷田町校舎の土地は土佐藩最後の藩主・山内豊範の長子、山内豊景侯爵の所有地でした。
そして1976年に武田邸を購入、その跡地に80年館が竣工した1980年、本学は創立100周年を迎えたのです。

富士見坂の上から見た80年館裏門と碑(中央石垣の上)。

富士見坂の上から見た80年館裏門と碑(中央石垣の上)。

市ケ谷キャンパスの現在の校舎配置図に明治後期〜大正期の地番(赤文字)を重ねた略図(編集部作成)。80年館と重なる6番地(斜線部分)がアーネスト・サトウゆかりの屋敷跡。赤丸が碑の建立場所だ。12・13番が最初の校地で、当時の東京銀行から購入した。ここには1889(明治22)年の中学校令に基づく私立中学校、明治義会尋常中学校を設立した塩谷吟策氏(しおのや・ぎんさく)が住み、中学校も同所にあったようだ。外濠校舎の敷地部分は昭和初期に大蔵省から払い受けた。7番地から11番地にかけては、戦後の1950(昭和25)年

市ケ谷キャンパスの現在の校舎配置図に明治後期〜大正期の地番(赤文字)を重ねた略図(編集部作成)。80年館と重なる6番地(斜線部分)がアーネスト・サトウゆかりの屋敷跡。赤丸が碑の建立場所だ。12・13番が最初の校地で、当時の東京銀行から購入した。ここには1889(明治22)年の中学校令に基づく私立中学校、明治義会尋常中学校を設立した塩谷吟策氏(しおのや・ぎんさく)が住み、中学校も同所にあったようだ。外濠校舎の敷地部分は昭和初期に大蔵省から払い受けた。7番地から11番地にかけては、戦後の1950(昭和25)年

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