HOME > 法政大学について > 法政大学の歴史 > HOSEI MUSEUM > 2011年度 > Vol.6 法政大学図書館 所蔵資料 「子規文庫」に収められた月岡芳年の浮世絵


Vol.6 「子規文庫」に収められた月岡芳年の浮世絵

2011年06月01日

法政大学図書館 所蔵資料

法政大学図書館が所蔵する「子規文庫」は、明治を代表する俳人、正岡子規(1867~1902)が愛読、愛用した蔵書コレクションで、1949(昭和24)年に東京・根岸の子規庵より、庵主で少年期から子規に兄事した寒川鼠骨を介して本学に寄贈されました。2000点を超える和漢洋書で構成される「子規文庫」は、国立国会図書館などに収められている国内の子規の資料の中で、最も豊富な内容と点数を誇ります。

日本古来の説話や歴史物語に登場する妖怪を題材とした「新形三十六怪撰」のうち『老婆鬼腕を持ち去る図』(1889〔明治22〕年)。歌舞伎や謡曲の「茨木」から、羅生門で渡辺綱に腕を切り落とされた茨木童子の腕を、綱の乳母に変装した鬼が持ち去る場面。右は1996(平成8)年に本学図書館蔵より刊行された『正岡子規文庫目録』。

日本古来の説話や歴史物語に登場する妖怪を題材とした「新形三十六怪撰」のうち『老婆鬼腕を持ち去る図』(1889〔明治22〕年)。歌舞伎や謡曲の「茨木」から、羅生門で渡辺綱に腕を切り落とされた茨木童子の腕を、綱の乳母に変装した鬼が持ち去る場面。右は1996(平成8)年に本学図書館蔵より刊行された『正岡子規文庫目録』。

子規文庫の蔵書には、自筆ノートのほか、世界で3点しかないといわれる漢書「古今小説」も含まれます。これらの中で目を引くのが江戸から明治にかけての浮世絵をはじめとする絵画コレクション。北斎、広重、国貞、国芳、豊国らの作品とともに数多くの作品を収集しているのが、幕末から明治にかけての浮世絵師、月岡芳年(つきおか・よしとし、1839~1892)の浮世絵です。
芳年は歌川国芳の門人で、主に歴史絵や美人画、役者絵などを残しています。特に芳年の名が知られるのは「血みどろ絵」「残酷絵」などと呼ばれる一連の作品です。後年、江戸川乱歩や三島由紀夫らの文芸家たちも、こうした芳年の作品に魅了されたという話はよく知られますが、「血みどろ絵の画家」といった表現は決して芳年の全容を表してはいない、というのが現在の専門家の一致した見方のようです。それ程に芳年の作品は質が高く、独自の作風を確立していると評価されていますが、その本格的な研究はまだ途上にあります。
ここで紹介するのは、子規文庫収蔵の芳年の作品のうち、晩年の作で、従来の浮世絵の技法を超越し、より洗練された独自の作風を確立した作品といわれる、『月百姿(つきひゃくし)』『新形(しんけい)三十六怪撰』の一部です。

芳年晩年の1885(明治18)年から1891(明治24)年にかけて描かれた、月を主題に百の説話を描いた「月百姿」から。左は津の国の安倍野で僧と問答する晩年の小野小町を描いた『卒都婆真月』(1886年)。右は「源氏物語・夕顔の巻」の一場面を淡い色調で描いた『源氏夕顔巻』(1886年)。十五夜の宵、光源氏が夜を明かした夕顔の宿に現れた亡霊。芳年は多くの幽霊の画を描いている。

芳年晩年の1885(明治18)年から1891(明治24)年にかけて描かれた、月を主題に百の説話を描いた「月百姿」から。左は津の国の安倍野で僧と問答する晩年の小野小町を描いた『卒都婆真月』(1886年)。右は「源氏物語・夕顔の巻」の一場面を淡い色調で描いた『源氏夕顔巻』(1886年)。十五夜の宵、光源氏が夜を明かした夕顔の宿に現れた亡霊。芳年は多くの幽霊の画を描いている。

「月百姿」から、左は大きな満月を背にした孫悟空と兎を描いた『玉兎 孫悟空』(1889年)。右は、「仮名手本忠臣蔵」から題材をとり、塩谷判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前(かほよごぜん)をつけまわす高師直(こうのもろなお)が、湯から上がって着物を着る顔世をのぞき見る場面を描いた『垣間見の月 かほよ』(1886年)。

「月百姿」から、左は大きな満月を背にした孫悟空と兎を描いた『玉兎 孫悟空』(1889年)。右は、「仮名手本忠臣蔵」から題材をとり、塩谷判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前(かほよごぜん)をつけまわす高師直(こうのもろなお)が、湯から上がって着物を着る顔世をのぞき見る場面を描いた『垣間見の月 かほよ』(1886年)。

「新形三十六怪撰」から『為朝の武威痘鬼神を退く図』(1889年)。疱瘡(ほうそう)で発疹した子どもを背負う老婆のそばにいる疫病神を追い払う鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)を描いている。日本一の強弓である為朝に疱瘡を退治してほしいという願いから描かれたようだ。

「新形三十六怪撰」から『為朝の武威痘鬼神を退く図』(1889年)。疱瘡(ほうそう)で発疹した子どもを背負う老婆のそばにいる疫病神を追い払う鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)を描いている。日本一の強弓である為朝に疱瘡を退治してほしいという願いから描かれたようだ。

参考文献:「正岡子規文庫目録」(法政大学図書館・1996年)、「月岡芳年の世界」吉田漱監修、悳俊彦編著(東京書籍・1993年)、「芳年妖怪百景」悳俊彦編(国書刊行会・2001年)