法政大学エピソード

学徒出陣

法政大学エピソード

太平洋戦争の熾烈化とともに、1943(昭和18)年10月、文科系の学生に対して、それまで兵役法で認められていた徴集延期の制度が廃止され、適齢期の学生たちは直ちに戦場に向かうことになりました。いわゆる学徒出陣です。
1943(昭和18)年以降、学徒出陣によって、陸海軍合わせて約10万の学徒兵が戦地に赴くことになりました。
学徒出陣は一般兵員の補充がたてまえでありましたが、彼らの多くは実質的には特攻隊要員に、ほかなりませんでした。
学徒出陣に際して、文部省主催の出陣学徒壮行会が神宮外苑で挙行されたほか、各大学がそれぞれ壮行会を開いています。法政大学の場合も、その例外ではありませんでした。

法政大学壮行会後の行進 (昭和18年10月15日)

戦没学徒への卒業証授与

1990(平成2)年、法政大学では学徒出陣し、二度と学園へ戻ることがなかった学生へ「卒業証書」を交付することにしました。
学徒出陣した法大生は約870人。戦災等の焼失を逃れ、学籍簿が残っていた146人の本籍地を手がかりに追跡調査したことろ、35人の戦没が確認できました。
1990(平成2)年3月の卒業式で、自らも学徒出陣の経験を持つ阿利莫二総長(当時)は、「大学は、これらの人たちを、当時歓呼の声で送りました。時の力に抗し難かったとはいえ、痛恨の極みであります。法政大学は今ここに全学を挙げ、改めてそのことに思いを致し、大学として責任を果たすことにしました」と述べ、遺族に卒業証の授与をおこないました。
大学側は35人分の卒業証を用意し、当日、10名の遺族の方にお渡しできました。

1990(平成2)年の卒業証授与のあと、阿利総長は、「学徒出陣五十年」の年である1993(平成5)年に、かつての大学が出陣学徒を歓呼の声で送り出したことについて反省する共同声明を発表するよう全国私立大学の学長・総長に働きかけ、同年、全国270校の全国私立大学の学長・総長は、「有為の若人たちを過酷な運命にゆだねるほかなかったことに、深い胸の痛みを覚える」とする共同声明を発表しました。

戦没学徒への卒業証授与 (平成2年3月24日)