法政大学エピソード

ボアソナード博士と「自由と進歩」の学風

法政大学エピソード

1881年(明治14年)5月、東京法学社から東京法学校が分離、独立して薩埵が主幹となります。東京法学校の教育に重要な役割を果たしたのが、政府の法律顧問として来日したボアソナード博士でした。

Gustave Emile Boissonade de Fontarabie

ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ドュ・フォンタラビーは、1825(文政8)年6月7日、フランス・ヴァンセンヌ市に生まれました。

パリ大学を卒業し、博士号を取得した後、グルノーブル大、パリ大の教授を歴任、1873(明治6)年、政府の法律顧問としてわが国に招かれ、太政官、司法省、外務省などの顧問として、20年間にわたり刑法典、治罪法典、民法典などの法典編纂や、司法省法学校の教授、政府の外交政策への助言などに尽力しました。

1883(明治16)年9月、本学の前身である東京法学校(後に和仏法律学校と改称)の教頭に就任した博士は、以後最終帰国まで10年間にわたり、無報酬で門弟の教育に情熱を注ぎ、本学の基礎固めに精魂を傾けました。

東京法学校は校長を置かず、 主幹薩埵正邦が経営していたので、実質的に本学は「ボアソナードの法学校」であったと言われています。

ボアソナードにより培われたフランス自然法的な近代法の基本理念は、本学の「自由と進歩」の学風をつくりあげる基盤となりました。

1910(明治43)年6月27日、南フランス・アンチーヴで没。

2000(平成12)年4月に竣工した「ボアソナード・タワー」は、学内で広く名称公募した結果、本学草創期に大きな功績を残されたボアソナード博士にちなんで命名されました。